史跡高松城址・玉藻公園 | モリよしのブログ

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写真撮影が趣味で、岡山・倉敷の観光地、ギャラリー巡りをしてブログとインスタグラムで紹介しています。

5月30日(火)、高松市玉藻町にある 「史跡高松城址・玉藻公園」 を訪れました。JR高松駅より徒歩約3分です。国の指定史跡。玉藻公園は、讃岐国領主・生駒家、高松藩主・松平家の居城だった高松城跡を整備した公園です。瀬戸内海の海水をお堀に引き込んだ城は、日本三大水城として知られ、園内には、国の重要文化財に指定されている艮櫓、月見櫓、水手御門、渡櫓、披雲閣があるほか、国の名勝に指定されている披雲閣の庭園があります。

 

”鞘橋” 本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当初は欄干橋でしたが、江戸時代中期末頃には、このような屋根付きの橋になっていたようです。

 

 

 

”天守台” 生駒家時代の天守は、絵図や古文書によると3重だったとされています。松平家時代の寛文10年(1,670)に改築された天守は、3重5階、唐造りで四国最大の規模を誇っていました。天守は、明治17年(1,884)老朽化を理由に取り壊されました。

 

 

 

”披雲閣” 江戸時代にもこの場所に、約2倍の規模で政務が行われる場所、藩主が生活する場所として「披雲閣」という名前の御殿がありました。現在の披雲閣は、明治維新後、老朽化を理由に取
り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主賴寿伯爵が大正3年に再建に着手し、3年余りの歳月をかけ大正6年(1,917)に完成したものです。

 

 

 

”披雲閣庭園” 披雲閣の建築に合わせて、大正6年(1,917)頃に築造された枯山水の庭で、江戸時代の庭園の一部が残っています。

 

”桜御門” 三の丸入口の櫓門で、昭和20年(1,945)高松空襲で焼失しましたが、令和4年(2,022)7月、77年ぶりに復元され蘇りました。

 

”艮(うしとら)櫓(旧太鼓櫓跡)” 延宝5年(1,677)に東ノ丸の北東の隅櫓(すみやぐら)として建てられたもので、現在残されている月見櫓と同時期に建てられたものです。北東の方角のことを丑寅(艮)ということから名付けられました。