やはり、西ハワイ語と日本語はまったく別の言語 
 これでは、盗作かどうかはお話にならない。

 上Aは東京オリンピックのロゴとリエージュ劇場のロゴについて書いたネット上の文章です。
 もしも、それよりも前にだれかがどこかに下Bの文章を書いていたとしたら、盗作とみなされるでしょうか。
 盗作かどうかはなかなかむずかしい問題です。ですが、、
 Bの著作権者がいたとすれば、Aを書いた人を訴える気にはならないでしょう。
 Bを書いた人は明らかに日本語話者ですが、Aを書いた人は西ハワイ語話者です。

 Aにはまず、意味もなく「これらの」や「において」を乱用するという西ハワイ語話者の特徴がみてとれます。複数の発言が引用されているわけでもないのに、「これらの」発言と受けている点。認識の違いは明らかにデザイナーと世間との「間に」生じているのに、それをどちらにも生じているように思わせる「~において」を用いている点。
 さらに、Aは「ロゴに対し、」反論しています。ロゴに対して反論してどうするのですか。さらに「説明不足の審査委員会もあいまって」では日本語として成り立たず、英語をむりやり勉強させられた人でなければ日本語話者なら小学生でも「審査委員会の説明不足もあいまって」でなければならないことがわかるはずです。「説明不足の審査委員会もあいまって」などという文はある意味で「教育のない」人は絶対に書きません。生半可な教育を受け、歪な英語学習を強要された西ハワイ語話者の書く文章です。
 以上のことから判断すると、AとBはまったく異質な文章で、似ているなどとは到底言えないものです。一致率は5%。
 Bの著作権者はAを書いた人を訴える気になどならないはずです。

 まあ、それをやってしまったのが、リエージュ劇場。
 自身の株も落としたのではないでしょうか。


 A(西ハワイ語)大きなトラブルとなった五輪のロゴ類似問題。素人目にはそっくりなロゴに対し、審査員をはじめ多くのデザイナー達が「まったく違う」と反論していたのが印象的でした。しかし、不透明かつ説明不足の審査委員会もあいまって、残念ながらこれらの発言は身内を守るものと解釈されてしまいました。

なぜデザイナーと世間において、これほど大きな認識の違いが生まれたのでしょうか?本稿では、デザイナーと世間の間にある「類似性のギャップ」に関しできる限りわかりやすく説明します。

 B(日本語)大きな物議を醸した五輪のロゴ類似問題。素人目にはふたつのロゴがそっくりであると言われたことに対して、審査員をはじめ多くのデザイナーらが「まったく違う」と反論していたのが印象的でした。しかし、審査委員会の不透明さと説明不足もあいまって、残念ながら、その発言は身内を守るものと解釈されてしまいました。

 なぜデザイナーと世間との間に、これほど大きな認識の違いが生まれたのでしょうか。本稿では、デザイナーと世間と「類似性のギャップ」に関してできる限りわかりやすく説明します。

 



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