その昔、


 教育にいちばん邪魔になるのは何か。 ――それは教育ママだ。


 という問答があった。


 では、日本語にとっていちばん邪魔になるのは、――もちろん、権威を振りかざす学者先生たちだ。


 ら抜きことばがどうのこうの言うくせに、~より、これらの、すべての、さらなる、については何も言わない。


 こういう権威をふりかざすお方の説では、「眉をしかめる」はまちがいで、「眉はひそめる」、「しかめる」なら「顔をしかめる」だそうだ。


 私も昔、あるところに、「眉をしかめる」と書いて、それはまちがいだと指摘されたことがある。ただ、私には、では「顔をしかめる」に直せばいいというものではなく、私が表現したいことは、まさに「眉をしかめる」だった。

 自分にとって、耐え難い「そいつの」表情が、眉のあたりをしかめているからこそ、強烈にこたえるのであって、「顔をしかめる」では、私の恐怖は半減する。


 自分が表現したいことをことばにしたのに、まちがい呼ばわりされるなんて、、という思いが消えなかった。


 そして、ついに、、フランシス・イタニ 村松潔訳 「遠い音」(新潮クレスト・ブックス)のなかに、「眉をしかめる」を見つけた。


 どこから、どんな攻撃を受けるやもしれないのに、自身の信念を貫いた村松潔さんに敬意を表したい。


 私は勇気がなかったと思う。


 これでいいのだ。「眉をしかめる」に対応する現実はちゃんと存在するのだ。 


 そんなことよりも、「より~」なんていう西ハワイ語をなんとかしろ。



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