「懐かしき印象」は「縁の証し」 | 縁に連るれば唐の物

「懐かしき印象」は「縁の証し」


縁に連るれば唐の物
その日の会食に出た立派なポルチーニ茸。




先日「3/4会」という感じの会食があった。

卓を囲む4人それぞれが「他の2人とは関わりがあるが初めてという人が(それぞれに)1人いる」・・・

という珍しい「シチュエーション」である。


しかし俺は、どうも「初めて」という感じがしない・・・何故か「懐かしい」という印象があった。


宗教は信じていないが、根本の「思想・哲学」は理に適っているものと思っている。

「前世からの縁」は、きっと科学的な解明がされる日が「遠い将来」にあるかもしれない。


たとえ解らなくても人の感性で「感じられる」というのは、それが「あるから」に他ならない。

そして「縁」がなければ、人は人と絶対に出会わない。


もちろん良縁も悪縁もあるだろう。いや「良し悪し」は人間のエゴであり、「価値」というのは

本人の利己的都合ではない。「あるべきしてある」ものだからだ。


そして縁は「時間」は関係ない。

永遠に続くような縁もあれば、今日切れてしまう縁もあるだろう。

それも「当然」の如く「あるがまま」である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「懐かしい」というのは、とても「ホッとする」気持ちになれる感覚であり、妙な安堵感がある。

どんな「因果」があったのだろう?とは思うが、それは誰にも分からない。

ただ「必然」を強く感じるものでもある。


ともあれ、人は縁によって日常を営んでいる。

家族、友人、知人、仕事・・・全てが縁によって結ばれている。

偶然というものはなく、そこには必ず「理由」があるから「結果」があるという「現実」しかない。


利己的欲求かもしれないが、やはり人間関係も仕事も「良き縁」を増やして行きたいと思っている。