飲食の「批評」と「感想」/曖昧な食いものレビュー。
世の中に「グルメ」という人はどれだけいるか?
「美味しいものが好き」だの「美味しい店を知っている/行きたい」という人は多いだろうが
「常に意識しながら」、距離や金額をものともせずに、[とにかく食う事に執着する」という人は
100人に1人もいない・・・0.数%の世界であるらしい。
実はそんな非常に「狭い世界」なのだが「食事」というのは誰でも関るので、全く関心がないという人も
ほとんどいない。「メシなんて何でもいい」と言う人も「好きな店」の一つや二つは必ず持っている。
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「レビュー」というのは「批評・論評」の事であるが、どうも飲食については単なる嗜好による「感想」が多い。
いや、感想を書くのは自由なのだが、それが公のサイトで「ランキング」などになるとおかしな事になる。
単なる嗜好が「点数」になると、それを信じて店を訪れた読者は、自分と合えばいいが、合わなければ
「過大評価だ!」とか「期待したほどじゃない!」などと文句を言う。
まったく知らない人間の「評価」などを信じて行く方が馬鹿だと思うし、外れて当然である。
「批評」するというのは、する側にも確かな「基準」が求められる。
何をもって「良いのか/悪いのか」が語られていなくては「レビュー」とは呼べない。
まぁ「レビュー風」な「批評ごっこ」を楽しむならそれも自由なのだが、どうも「食いものの恨み」というのは
本能的に強いらしく、自分の好きな店をけなされて、トラブルに至るケースも実際に多い。
「べつにアンタの店じゃないでしょ」と言っても、そこを良しとする自分の感覚がけなされていると
同一化してしまうんだろう。
ただし、「食いものの嗜好」が合うと、人間関係もスムーズであるのは確かだ。
飲める、飲めないもあるだろう。
最近も某イタリアンで「飲めない客に冷たい」といって文句を言うレビューもあったが
であれば、飲めなくとも楽しめる店に行けばいいだけのことなのだが
とにかく「許せない」となるようだ。「そんな事してると潰れるぞ」などという余計なお世話の頓珍漢もいた。
まぁ、そんな「狭い世界」の中でも滅茶苦茶なのだから、これが大勢になればもっと滅茶苦茶なのは
必然の結果だろう。
俺が公けのサイトで「批評」しなくなったのも、そんな理由が大きい。
個人的な批評は個人のフィールドでやる方がいいと思うからでもある。
どんな頓珍漢な感想でも、個人の場で言うなら自由だ。
しかしもうちょっと客の方が成長しなくては、店も進歩しないと思うけどね。
「金を払ってるのはこっちだ!」なんて思っていたら、そんな客に「レビューする資格」はない。