反日暴動とは、要は日々の生活不満のはけ口でしかない。 | 縁に連るれば唐の物

反日暴動とは、要は日々の生活不満のはけ口でしかない。

戦争が終わって67年が経つ。

今の社会は「戦後生まれ」が大多数であり、リアルに「酷い目に遭った」という人間はもう少ない。


原爆やナチスのホロコースト・・・そんな酷いことがあっても「時間」が経てば敵国同士も和解し、

一応に平和は保たれている。


世界では宗教的対立は消えないが、今、中国や韓国が「島の問題」で「反日」とする「理由」は何なのか?

それは国の「利己的欲求」でしかない。


しかし中国や韓国の「戦後世代」の一般市民にとって、あの「島々」が自分たちの生活に直接影響を

及ぼす事はない。完全に「教育」というマインドコントロールによって「利己正義」を刷り込まれた

結果による「都合の良い愛国心」だろう。


そしてあの「天安門事件」で押さえつけられてしまった若者たちの民主化欲求が、今度は格差問題や

日常生活の不満となって「反日」を口実に爆発する。


何かを壊すという快感は誰にもあるが、そこに「口実」をもうければ正当化され、破壊欲求は暴走する。

暴動のニュースを見ていても政治的な反感というより、破壊によって個人的不満を解消させているようだ。


しかし中国人、韓国人の個人個人の本音は決して日本が嫌いな訳ではないだろう。

むしろ若者はアニメやゲーム、音楽など日本のPOPカルチャーに憧れている。


「過去の怨念」だって、リアルなものではなく「教え込まれた」ものであるから実感などないはずだ。

それを操って国のパワーにしているのだろうが、一つ間違うと再び「天安門」が起こる危険もある。

「飼い犬に噛まれる」だ。


確かに過去日本によって傷つけられたのは事実だろうが、いつまでも「あの時は」という怨念を盾には

できないだろう。「自分たちは被害者なのだ」という理屈で日本を叩けばいいという発想はもう古く

時効であり、対立を生むだけで、進歩的なものは何も生まない。




しかしまぁ本来「誰のものでもない地球の自然」を奪い合うという、人間というのはなんとも

地球にとって一番迷惑かつ害のある生き物なのである。