ルポライターの浅見光彦(中村俊介)は、三年前に父を殺された「かるたクィーン」の理絵(野波麻帆)と宮城県に向かう。理絵の父は歌枕巡りの旅の途中に多賀城市の末の松山で、遺体で見つかった。理絵の父の手帳には「白浪、松山を越ゆ」という文字が躍り、血痕がついていた。多賀城市の末の松山では、海岸線も松林も見通せない。浅見は理絵の父の死の謎を探すうちに、十二年前のもう一つの殺人事件にたどり着く。果たして、二つの殺人事件の関係は?

 

3年前

野波麻帆の父、朝倉が宮城県多賀城市の末の松山で毒殺される。

「白浪松山を越ゆ」と手帳に書いた直後に殺害されたようで、手帳に彼の吐血痕があった。 

短歌が趣味で歌枕を巡る旅の途中だった。

 

12年前

うやむやの関で歌枕巡りの途中だった文京区在住の教師 野森恒子の死体が見つかる。

首を絞められて殺害され、暴行目的の行きずりの犯行と思われていた。

彼女の鞄には遺留指紋。

短歌の第一人者、窪村教授を尊敬し、次作の短歌を見てもらって喜んでいたという。

 

2つの殺人の共通点は歌枕の地、短歌愛好家、歌枕巡り・

手口は違うが連続殺人の可能性があると考える光彦。

 

窪村教授の説によると「末の松山」は4つあった。

多賀城市、石巻市須江、二戸市浪打峠、そして第4の末の松山が福島県いわき市勿来の関で恒子が母親に送った絵はがきの地だった。

第四の末の松山、勿来の関なら「波が末の松山」を超える。

 

窪村教授の学部長就任を祝う会が開かれる秋保温泉へ。

彼の勉強会や講演会には欠かさず参加していた恒子のことを教授は知らないと話す。

当時、研究生だった助手の川崎麻世も知らないらしい。
朝倉の手帖から事件当日に教授の講演会に参加していたことが分かる。 

テーマは奥の細道と歌枕で歌枕の代表例として、末の松山が取り上げられていた。
「第四の末の松山は勿来の関」説について話していたとしたら…。

朝倉と恒子が教授を通して繋がる。
しかし教授の指紋と恒子のバックにあった遺留指紋とは一致せず、アリバイもあることが分かる。
朝倉の殺害時刻、夕刻~21時頃まで研修センターで懇話会を持っており、多賀城や勿来へ行くことも不可能。


助手の川崎麻世の父親が窪村教授の恩師だった。
人事の噂では順番から助手の秋山が准教授になるはずが、教授は2年後輩である川崎を准教授にしようとしている。

その為に、教授自らが足を棒にして発見した「第四の末の松山が勿来」説を川崎に譲り、研究用DVDを作成させたりして博士号を取らせようとしていた。

 

川崎の父親は国文学の重鎮で暴君のような夫振りだった。

相当、苦労していた妻の心の支えが書生だった窪村。

同情が愛情に代わり、不倫関係となった二人の子が川崎麻世。

それなら命より大切な学説を譲ろうとする教授の気持ちも分かる。
川崎の父親であると認める教授。

 

野波麻帆は川崎を問い詰めようと秋保へ向かう。

秋保には教授の別荘があり、川崎も利用しているという。


12年前

恒子の歌枕巡りの案内を買って出た川崎は有耶無耶の関を案内した。

好意を伝えたが拒絶されて殺害してしまう。

立ち去ろうとした途中、朝倉から有耶無耶の関への道を聞かれる。

犯行は見られていないが顔は見られてしまった。

行きずりの犯行で捜査は難航し、このまま時効になってくれれば…。

 

3年前

教授の講演会で朝倉と再会してしまう。

9年も経っているが、もし思い出したら最後だ…。 

「白浪が松山を越える」DVDを口実に朝倉を誘い出して毒殺した

車のトランクに遺体を隠し、深夜になってから遺棄。

 

教授は「私がいけなかった」と。

恩師の内弟子として疲れてたときに愛してはいけない人を愛してしまった。

川崎が自分の子だと分かっていても何もしてやれず、36年間、ずっと胸を痛めていた。

川崎には詫びようが無く、罪滅ぼしで、できる限りの援助をしてやりたいと、温めていた研究成果を譲ってまで教授にしようとした。

息子の罪は父親の罪。

一緒に償うと警察へ向かうが…2人は勿来で自殺した。

 

恒子さん、川崎麻世が惚れるほどの美人か?

助手の秋山も「美人」って言い切ってたけど…

WIKIによると、この女優さんの父は俳優の村井国夫、母は女優の音無美紀子らしい。

それでかニヤリ

 

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