◆志望動機
学生時代は塾講師のバイト漬け。今風に言うと「バ畜」だったと思う。月並みだけど、卒業後は、専門性を活かして環境問題に取り組めそうな公務員になりたかった。この時、ふと名案が浮かぶ。1浪だから大学3年でも「大卒程度」の試験受けられるんじゃないか?

募集要項には大卒「程度」の試験としか書いてない。年齢要件はクリア。卒研以外の単位は3年までに取得できる(そういう大学だった)。繰り上げ就職を目指して大学2年の10月から公務員試験用の勉強を始めた。おそるおそる願書出したの覚えている。普通に受験票が送付されてきて、普通に受験できた。

◆勉強期間
2002(平成14)年10月から。独学。週5〜6日塾講師のバイトして、地元の24時間ファミレスでレポート書いて日付変わってから帰宅するような生活だったので、電車の中で過去問解くとか、そんなのがメインだった。直前期の春休みは多少集中して勉強していたけど、勉強体力が乏しかったのでせいぜい1日5時間程度。

バイトとはいえ塾講師(補習塾で中学・高校の全教科対応)だったから、教養試験は一般知識・一般知能ともに比較的対応できた。一方、肝心の専門科目(化学)が辛かった。院試用の問題集で練習して有機化学、無機化学は割となんとかなったけど、物理化学、化学工学とかが全然ダメだった。いわゆる「工学の基礎」も苦手。微分方程式、ベクトル解析、波動方程式…なんかそういう系のは今もってチンプンカンプン。

◆受験先(2003年度)
①国家公務員Ⅰ種(理工Ⅳ類 化学・生物・薬学系)
②国家公務員Ⅱ種(化学)
③東京都特別区 衛生監視(化学)
④川崎市役所 化学
⑤海老名市役所 一般事務
⑥陸上自衛隊 一般幹部候補生

◆結果
①国家Ⅰ種
余裕で一次落ち。本当に難しかった。一次試験終わった瞬間に不合格を確信した。こんなのどうやったら合格できるんだ?

②国家Ⅱ種
寝坊で不戦敗。目覚めた時絶望した。一応会場まで行ったけど何も告げずにそっと去った。…もし国Ⅱ合格してたらどこかに官庁訪問してたんだろうか?

③東京都特別区
最終合格。席次は合格者28名中9位、可もなく不可もない感じ。特別区は最終合格後に各区から採用面接の連絡がある。1回目は中央区から連絡があったが面接の結果補欠(要は不合格)、2回目は別の某区から連絡があり、集団討論と面接の結果、無事内定。4年間勤務することになる。ちなみに行ったことこないような区だった。


④川崎市
本当は地元の市役所を受けたかったけど、倍率が高くて敬遠。それで隣の川崎市を受けた。結果開示したら最終合格者8名で9位。あと1人でメチャクチャ悔しかった。2次面接の時間と大学の実験科目がかぶって、実験に遅刻する件について厳格な教官に頭下げまくったのに…。

⑤海老名市
一次倍率が13.5倍(435人中30人合格)。一般市の1次にしては絞っている。二次試験の集団討論の後、個別面接の前に上記③特別区が最終合格したので辞退した。

⑥陸上自衛隊幹部候補生
二次試験会場まで採用担当の県地方連絡部(現在は地方協力本部)が車で送迎。模擬面接もしてくれる。最終合格。


◆入庁後
「大学中退するの?」ってどこの面接でも聞かれた。「卒論以外の単位は全て取得し、研究室の指導教官には土日だけで仕上げられる卒論を課題にいただいています。もちろん仕事を優先します」と回答。まだ研究室も指導教官も決まってなくて、内々定取った後に指導教官に承諾をもらった。教授会で報告案件になったらしい。もちろん指導教官に対しては「仕事はありますが、学生として学業を優先します」とイギリス顔負けの二枚舌外交を繰り出す。

そうして2004(平成16)年4月某特別区に入庁。月1、2回は平日に大学ゼミがあって、初年度から15日ほど有給休暇をいただいた。「地方公務員兼大学4回生」という割と珍しい立場を一年通し、あやしい卒業論文を提出して、それでもなんとか「大卒」資格をもぎ取る。

卒業が決まった時は、係長と先輩がお寿司をご馳走してくれた。とても恵まれた職場だったが、4年後に転職してしまうのだから忘恩の徒にもほどがある。そのことは、公務員試験の話②【転職:特別区→政令市】にて。