日航123便の墜落事故から、36年が過ぎましたが、この事故原因については謎が多く残されています。それと同様、墜落現場での生存者発見まで16時間あまりの時間がかかったことも問題とされています。


この事故が未だに疑惑がはらんでいる理由には、整合性のない事故原因と、時間稼ぎと疑われる救助活動の遅れの2つの謎があるからです。


この事故が発生した当時、私はまだ10代でしたが、当時から漠然と救助活動の遅れに関心を持っていました。その理由は生存者が、「墜落直後はまだ多くの人が生きていた。」と証言された事を知ったからです。生存者は4名でしたが、もっと早く救助活動が出来ていれば、他にも助かった人がいたのではないかと感じていました。時を経てこの事故を検証していく中で、救助活動の遅れは山深い場所で位置の特定に時間がかかり、仕方なかった事だったという定説は正しかったのかという疑惑を抱きました。


報道、YouTubeやブログなどでは、不可解な事故原因について検証したものは多くありますが、救助活動の遅れに関して検証されたものは多くみられません。以前にNHKスペシャルで日航ジャンボ機事故空白の16時間と題した特番が放映されましたが、真実に迫る姿勢を見せながらも、最終的には「どうすれば現場を早く特定できたのか、関係した人は今も問い続けている。」と視聴者を煙に巻いた結論で終わっています。


本ブログでは、最終的に捜索を遅らせようとした意図があったと結論付けることは出来ません。何故なら本当の真実は、それに関わった人が本当の事を話さない限り、真実は明らかにならないからです。


しかし、残された書籍や記録から検証し、救助が遅れたのは仕方がなかったことなのか、読んで下さった方それぞれが判断していただければと思います。


検証にあたっては、事故当事県となった群馬県警察本部長であった、河村一男氏が書かれた「日航機墜落」、青山透子氏が書かれた「日航123便墜落の真実」、吉原公一郎氏が書かれた「ジャンボ機墜落」、その他新聞記事などを参照し作成します。


まず最初に、日航機がどのように墜落したのかについて、次回ブログで解説したいと思います。