ケータイ破壊かあ。 | Life is …

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"thinking"と定義付けした前blogより、もう少し謙虚に、広く、深く

全然知らないアーティストさんですが、misonoさんがケータイに八つ当たりしてぶっ壊したと日記に書いておられたようですね。
アメーバニュースで見ました。
あれだけ有名な方が書くといろいろと波紋を呼びそうですが、記事を見て思わず懐かしさが…

僕も大学のゼミ時代に電話中腹を立てケータイを投げて壊したことがあるのを思い出しました。
幸いデータは飛ばなかったし、misonoさんのようにデータを0にしてしまうとむしろ困る人だったので、(だって、キレたことを愚痴る相手との連絡も電話がなければできないじゃないですか)ケータイマニアとして機種変ができたことには喜びを感じました。当時は。
でも、お金も飛んだし、キレてもそのキレた相手はどうしてキレられたのか全然理解していなかったのでむなしかったです。。。とほほ。
弁償して!と言いかけたけど、壊した自分が悪いんだしと思い直した次第です。

今では笑い話ですけどね。

先程も言ったばかりですが、僕はケータイマニア。
度々機種変をしては散在し、またコレクションを増やしていきました。
そしてある時期までは初代の端末から全て保存していましたので、今でも10台近く狭いワンルームの中で所有しています。
2年程前まではデータも残っており、時々見ては懐かしむという日々を送っていましたが、今ではデータが消え、さらに電源も入らないという、ただのガラクタと化しました。
しかし、ガラクタだとは割り切れない自分がいます。
これは、自分のケータイがやり取りしていたのは電波だけではなくて、電波に乗せられた一つ一つの気持ちに対しても愛着が湧いていたってことじゃないかなあと思います。

うつ病がかなり悪化した時、一時は電話すら怖かったのですが、それは早々と終了(笑)
iPhoneへの機種編時に何故かアドレスの連絡が殆どの人に届いていなかったので昨日ようやく個別に送ったところです。
電話番号に乗せて、アドレスに乗せて、これからも気持ちの伝達をよろしく>myケータイ