自業自得では割り切れない | Life is …

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"thinking"と定義付けした前blogより、もう少し謙虚に、広く、深く

今から書くことはただの愚痴かも知れないし、有意義なことでもないかも知れない。
けど、今後の自分にも覚えておくことが必要であると思われるので、とりあえず書く。
問題があれば削除する。

長くなるし、自分本位な日記になりそうだ。
最近たくさんの方に来ていただいていてありがたく思っているし、できればみんなで共感できる記事を書きたいのだが、ちょっと難しそうだ。
読んで不愉快になるかも知れないので、読んでくださる方はそのつもりで読んでいただけたらと思います。


昨日大きく3人の人と関わった。
1人は前投稿時に登場する上司である。
上司とのやり取りは何事もなく、無事に終わったので、書くのは他の2人とのやり取りのことになる。

2人目をA氏、3人目をBとしよう。

A氏は、うつが悪化してから距離を置いている人物である。
理由も先に書いてしまおうと思う。
多少自分に都合の良いように書くかも知れない。
その方はうつ病を患っている。
でも危険を冒すことが好きで、結局自分が傷つき、「どうしよう」と毎回数時間にも及ぶ電話をかけてきては、自分がいかに大変か、いかにボロボロかを言ってくる。
その上、アドバイスを求められ、こちらが答えたとしても、そのアドバイスは本人が考えている対処法と比べるとよろしくないと否定され、結局は自分の思っているように行動をするわけである。
悩みなんて結局は自分で解決するものだと言われればそうなのかも知れないが、人を巻き込んだ挙句、結局は自分の意見を押し通す上で、こちらは毎度数時間も時間を取られてしまうわけだ。
しかも、僕はその人と接することが正直苦痛になってきた。
僕は人付き合いに関しては随分わがままで、また応用力もない。
ストレートすぎる人も苦手、回りくどすぎる人も苦手、或いはどちらの要素も持っている人がいるがそういう人も苦手なのである。
A氏は超ストレートなのだ。
とてもお世話になっていた人には違いないのだが、ある時期から、病気を理由にしばらく養生する旨を伝え、距離を置いた。
しかしその後も、度々電話が鳴り、留守電に「心配している」というメッセージを残していくのである。
そのメッセージを残す度にこちらはいちいちしんどいのである。

次にBの話。
大学時代からの友達で、昔はよく遊んでいた。
最近職場でしんどいことが起きているというのを聞いていた。
ここ1年ほとんど会っておらず、つい1ヶ月前に久々の再会を果たしたのである。
ストレスが溜まると、ちょっと周りに当たる癖があるが、基本的には面倒見の良い人だ。


昨日夕方、ちょっとだけ用事もあったので自転車で走っていた。
ふと信号待ちで携帯電話を見ると、着信履歴があった。
A氏からだ。
そしてA氏からパソコン宛にメールが来ていた。
(ケータイに転送しているので、パソコン宛のメールもすぐ読める)
内容はA氏のプライベートなことに関する報告だった。
まあ、世間一般ではおめでたいことになるのだろう。
その後、特にかけなおすこともせず、返信どうしようかなと思いながら自転車をさらにこいでいると、Bから電話がかかってきた。
今度は着信時に気づくことができたのでとった。
すると、かなり泣きじゃくった様子で、途中まで何を言っているのかわからなかったが、一緒に病院に行ってほしいと懇願されたのだ。
病院は、電車で30分くらいかかるところで、Bの様子からすると付き添うのも大変そうだったが、放っておくわけにもいかないと思い、すぐに向かう旨を伝え、急いで電車に乗り、向かった。
ただ、向かう途中で、激しく後悔をしている自分に気づいた。
ただでさえ今しんどいのに、果たしてBにちゃんと付き添うことができるのだろうかと。
泣いているし、こういう時はかなり攻撃的になるので、僕には攻撃しないにしても、他にやりとりをする上で関わる人にはかなりきつい言葉を発する。
そんな場にいて、僕は耐えられるのか、かなり不安になってしまった。
でも、約束を破ることが、精神的に不安定な状況におかれているBにとってどれだけ裏切り行為になるかもわかったので、結局行くことにした。
元々副作用で冷や汗をかくのだが、この時ばかりは本当に汗だくで、電車に乗っていて周りの人が不思議そうにしていた。
その後も何度か泣きながらメールをしてきたのだが、結局僕の方が先に着いてしまい、20~30分程ホームで待っていたところ、A氏から再びメールが来た。
内容はさっきと全く同じでプライベートなこと。
違うのは、パソコン宛ではなくケータイ宛に送ってきたこと。
二度も同じメールを送ってきたし、今度はケータイ宛だったのですぐに返信もできたのだが、やはり躊躇われてとにかくBのことだけを考えることにした。
すると、またもやA氏からメールが来て、「避けられているかも知れないと思っている」という内容で終わっている、攻撃的なものが来たのだ。
正直避けているのは事実だし、言われてもしょうがないけど、こちらとしても病気で連絡が取りづらい旨は何度か伝えてあるし、その度に反応をされ、何かコメントを残されるのも苦痛だったのに、自分のプライベートな報告のためにメールをして、電話を2回もかけてきて、また同じメールをしてきて、最後にこんなことを言われてしまっては、僕はもうどうしようもない気分になってしまう。

結局、そんな不安定な状態のまま、Bを迎えることになってしまった。
案の定、周囲の人には攻撃的で、僕には辛いを連発するので、なかなかしんどい付き添いになってしまったが、買い物と食事にも付き合うことになり、切りも良いと思ったのでそこで線を引き、別れた。
最後は家に着いてきてほしいと言われたが、それは無理だと考え、用事があると断った。
時々だが躁状態になることがあって、やりとりをするうちに僕の障がい者手帳についてそんなに酷くなさそうなのに取れてラッキーだったとか、仕事を休んでいることに対してうらやましいとか、そういうことを言われるのも、結構苦痛だったし、食事の際、店員の不手際さにかなりいらいらしたらしく、店員に対して直接イヤミを言っていた。
そういうのも見てて辛かった。
僕は修羅場というのが基本的に苦手なので、修羅場を作りたがるBと一緒にいる数時間は辛く、帰り道はろくに手足が動かないくらいになっていた。
しかし、自分がOKしてしまったことにも責任があると感じ、電車で数駅かかるところを歩いて帰った。
案の定がくがくして歩きづらかったが、これはいわば罰ゲームだ。

向こう側は、僕が受け入れることをわかって電話をくれたのだと思う。
仕事を休んでいることも知っているから時間があることもわかっていたのだろう。
そして精神的に余裕がなかったこともわかる。
僕も余裕がない時は何も考えられず、行動をしていた時があったから。
その時はどれだけの人に迷惑をかけたかわからない。
迷惑だったかどうかもわからないのだ。

けれど、自分に余裕がない状態で受け入れてしまった自分は、本当に愚かだと思う。
仕事にも復帰できていない状態で休んでいるだけのハズだ。
しかし、何かしらやるべきことがあるついでに、やらなくていいことまでやろうとしている自分がいることにも気づく。
それは、自分が治りたいという思いによる行動だと肯定的に捉えていたので、割と前向きにやっていたのだが、思えばそれも一部は間違いかも知れない。

もはや伝言することすら、苦痛なのである。
そんな状態でできることなんて限られている。
でも、A氏に対してやっているように、選択的に可能なことを受け入れることはかなり不公平なのではないか、これがいけないのではないかという疑問もないわけではない。
もういっそのこと携帯電話も解約して、本blogも閉じて、某SNSサイトも閉じて、一切外部との関わりを絶ってしまった方が、いいんじゃないのかとすら思った。

それは、後に電話で相談した友達にやんわりととめてもらったのだが。
とめてもらってよかったと思う。
受け入れることに関してはもう少し考えなければならないが、結局は自分も多くの人に支えられていることは間違いないのである。

結局、夜はA氏とBのことばかりが夢に出てきてろくに寝られず、不調なままの通院となってしまい、案の定薬は増えた。
一時期なくても良いとすら思っていた睡眠薬に抗鬱剤、抗不安剤、2倍くらいになった。
増えたことには何も思わない。
むしろ増やさねばならないと思っていたからだ。

ただ、昨日大ダメージを受けてしまったことはかなり影響が大きく、今も胸が苦しい。
一時期感じていた自分が生きる無意味さなどは全く感じないので、その点は大丈夫だが、普通に何もしないのも、何かしているのも辛い。
時間と、薬が少し状態を向上させ、それから自分で解決できたらいいと思っている。

かなり変なことを書いてしまったかも知れないが、自分自身は、blogを通じて自分と向き合えたので、良かったとは思う。
アメンバーさん限定にしなかったのも、敢えてだ。
コメント拒否も敢えてしない。

ただただ、書いてみたかった。