1月初旬、大学時代の友人達と久しぶりに卓を囲んだ。おそらく78年ぶり。

僕が麻雀を覚えるきっかけとなった友人達で、当時はみんなで点数計算したりしながら、手積みで何とか麻雀を覚えていったのだ。

その後、みんな違う職場に就職したりして、彼らと会うことも無くなっていった。


友人達は、大学を出た後はあんまり麻雀を打たない生活を送っていたようだ。

そんな中でも、僕だけはフリーに行ったり、プロの映像対局を見たりと、どっぷりと麻雀を続けていた。麻雀を通じて新しい雀友もできた。


フリーのお客さんや新しい雀友達は、僕と同じで、社会人という忙しい立場であっても、休日やアフターファイブを麻雀に費やすくらいなので、他の趣味もあるかもしれないが、基本的に麻雀が好きな人ばかりだ。


こういった人たちと打つ麻雀は、筋引っ掛けや一発消し、貪欲に上の順位を目指す姿勢など、「楽しさ」と同時に「強さ」を求める麻雀になる。


僕もそういう麻雀が好きだから、飽きもせず麻雀を続けている。


そして、麻雀をやる以上それが普通だと思っていた。いや、覚えたてのときは違っていたかもしれない。最近卓を囲む人たちがそんな麻雀打ちばかりだから、そういう風に感化されていったのかもしれない。


そんな中で、大学時代の友人達と卓を囲んだのだけど、なんていうか、自分だけ違う空気で麻雀をしてると感じた。


僕はいつも通り、筋引っ掛けや一発消し、3位から2位になれるから千点で上がるなど、普段通りの麻雀を打っていたのだけど、1半荘が終わる頃には、そういう打ち方はこの場にはそぐわないと感じた。


他のみんなは、麻雀に「楽しさ」は求めても「強さ」はそこまで求めていなかった。あくまで旧友と会い、ワイワイするためのツールとして麻雀を打っていた。


ダントツトップだろうが、攻めまくって放銃しても、「○○は昔と変わらんなぁ笑笑」とか言いながら、笑っていた。


ふと、思った。


どっぷり麻雀にはまっていないメンバーと打って、しかもそれで勝ったところで、その勝ちは本当に勝ちなのだろうか。

こういう場での勝ちとは、みんながバカ笑いしながら、時間があっという間に過ぎ去っていくような感覚、昔に戻れたような感覚になること、それが勝ちなんじゃないだろうか。点数上の勝ち負けなんて、あんまり意味がないのではないか。


その場に合った内容の麻雀を打つ、それが一番大事なのだと、そう思った2019年最初の新年会でした。