「今回は可哀想だけどあきらめなさい。」

そう決まってからは、

病院の予約から全てわたしの両親が

動いてくれた。


当日、朝早く受付を済ませ まだ誰もいない

待合室で母と2人で待機していた。

悪阻が酷く 血圧も低かったので

「少し様子を見る」と言われたのを覚えてる。

でもその後の記憶がない。


思い出して 、、

頑張って 思い出しても 本当に記憶がない。


誰がきて私と会話したのか、

どうやって手術室まで行ったのか、

何に着替えたのか。


「様子を見る」から思い出せるのは、

ベットの上で左向きで横になって

壁をみながら目が覚めた時からの記憶。


まだ麻酔で目がグルグル回っていたけど

私の背中側にいると感じる お母さんの方を

必死で顔ごと向けて


「赤ちゃんってこの後 どうなるんだろう。」

    

鮮明に覚えてる。

目が覚めた私の一言目がそれだった。


大体の人が、驚いたときに

「えっ?!」とか 「なに?!」って

自然と出てくると思う。

それと同じくらいに

その言葉が自然と出てきた。


それにお母さんは応えてくれて

「何も考えずに 今は 寝なさい。」


そんな会話をしたのを覚えてる。


しばらく病院で過ごしてからお母さんの運転で家に帰った。 こんな事になってからも一度だって

お母さんから怒られる?責められる?

事はなかった。

でも帰りの車の中で

「いつだって傷つくのは女なんだからね。

    気をつけなさいよ。」

ひと言 そう言われた。

「ごめんなさい。」で私は返事した。


勝手に口から出てしまうくらいに

精神的にもきてたんだな、、って。

今ならわかるかな。


お母さんがくれる ひと言は いつも

あたたかくて、否定されない。

後にも先にも、

この彼氏の話をされた事はなくて

それがすごいと思う。


娘をもった今の私なら、こんな事があったあと

の娘には彼氏ができる度に

「気をつけなさいよ。」と言ってると思う。

言わずにいられないと思う😅😅


私のお母さんが与えてくれる

「信頼」と「無償の愛」は

凄まじいと本気で思う。