子供の頃から海外に住んでみたいという夢をあきらめきれず、意を決して、仕事を辞め、6ヵ月のホームステイをしながら語学学校へ行くプランに参加する事にした。
ニュージーランドとサンフランシスコのどちらかが選べたが、やっぱり最初はアメリカ英語でしょと、サンフランシスコにすることに。
ホームステイ先は母親が日系二世で日本語を話すことができたが、それでは英語の勉強にならないので、途中から日本語を使わないでくれとお願いした。
ワタクシ、日本での専攻は英文科だったが、ネイティブの日常会話に慣れるのに苦労した。
夫は白人で英語オンリー、子供は4歳と1歳の女の子。この4歳児が悪魔の4歳児。超わがままで懐かず、一日遊んでやっと懐いたかと思ったら、一晩寝るとまた見知らぬおばさん扱い。
夫は出張が多く、母親もワーキングマザーだった為、育児や家事はかなりおざなり。勿論私に構っている暇もなし。
当時はわからなかったが、自分が母になった今、その状況がよく理解できる。
彼らは私をヘルプする為にホストファミリーしているわけではなく、家事や育児にヘルプが欲しい為にホストファミリーをしているのだ。だからプログラムはママヘルプと呼ばれた。
私の仕事は子供の世話と、家事全般。大したものを食べていなかったので、自分が食べたいものを家族にも作った。車がないと買い物には行けなかったが、お願いするとホストマザーが食材を買ってきてくれた。
今となっては何を作ったかも覚えてないが、ドリアを作って喜ばれたのを覚えている。悪魔の4歳児は好き嫌いが激しく、具無しの味噌汁と白いご飯しか食べなかったが。。。
日本で母がしていたように毎日洗濯して、「アメリカは毎日洗濯しないのよ」、とやんわり注意されたり、下の子に牛乳の代わりにハーフ&ハーフという牛乳とクリームが混合したものを間違って飲ませていたり、失敗の数々も。
靴で歩いている絨毯の上に下の子が食べるスナックを直接置いたりしたのにはビックリだった。
猫を飼っていて、人生初のダニに噛まれたのもここアメリカ。家族は何ともないようで、私だけが被害者だった。
この最初の家庭には契約通り6ヵ月居て、「もっと居ていいのよ」と言われたものの、語学学校へ行くのに1時間以上かかった為、学校に近い別のホームステイ先を見つけてそちらへ移った。
あれから20ウン年。その家族とは切れてしまったが、今頃どうしているかな。。。と思う時がある。あの悪魔の4歳児も一人前になったんだろうか。。。