ご無沙汰しております。
※アメンバーの皆様方コメントありがとうございました。
未返信の方、必ず返信させて頂きますのでお待ちください。
アメンバー記事ではご報告させて頂いたのですが、
昨年末、夫は永眠いたしました。
2021年1月に『肝門部胆管癌』という、手術が難しく予後も悪いと言われている癌を発症。
2022年1月【生体肝移植】を行う。
自費で一千万円かかりました。
2022年10月:骨転移
2023年11月:臓器転移
死亡日:2023年12月30日(土)曇り
夫:享年44歳(数え年)
私:41歳
息子:2歳7ヶ月
娘:3ヶ月
11/30:臓器転移(肺・肝臓)
その日から寝たきりになる。
全身の痛みで眠ることは愚か、食事もほぼ摂れず。
12/10:緊急外来受診。即入院。
痛みを取るための治療開始。
12/13:余命宣告(余命2ヶ月)
担当医師からは『家族最後のお正月となります』と告げられる。
12/25:病院内でクリスマスパーティー
12/26:退院
12/30:死亡
あっという間でした。
本当にあっという間でした。
余命2ヶ月...。
もう少しだけでも長く一緒にいれると思っていましたが、退院してから僅か4日で亡くなりました。
私たちはというと、
12/28:息子・私・私の実母→胃腸炎
12/28〜1/4:娘は里親さんに預かって頂く
12/30:夫死亡
1/7:告別式(お義父さんコロナ感染の為欠席)
1/9:息子・私・娘・実母コロナ感染
胃腸炎からのお葬式、そしてコロナ罹患...。
もう記憶に無いくらい辛くてしんどい日々が続きました。
夫の最期は『スー』っと眠る様に亡くなりました。
苦しまずに逝けたのでそこは本当に良かったと思います。
2022年10月、尾骶骨に骨転移してからは歩行も困難になり、抗がん剤治療で体調も悪く寝たきりと言う日が続いたりしていました。
しかし、弱音は一切吐かず『痛い』という言葉も発しませんでした。
癌の痛みは相当だと聞くので、本当に激痛だったと思いますが、夫はどこまでも強い人間でした。
実際には、私たちに迷惑をかけまいと口にしなかったみたいですが。
生前、育児家事の分担が私の方が多い。
だなんてずっと愚痴って喧嘩になったりしていましたが、これだけしんどい身体で私は何を言っていたんだろうと。
本人は好きで会社を休んで居たのではなく、治療(療養)の為に休んでいたのに。
休めもせず、家事育児を求められたらそりゃしんどいですよね。
私が寿命を縮めてしまったんしゃないかとも思いました。
とは言え、私も当時は本当にしんどかったのでごめんなさい。許してください。
息子はパパが大好きだったので、
『パパお空いっちゃいやや』
『パパいないのさみし』
『パパどこ?びょういん?』
『パパと公園いきたい』
『パパにあいたい』
と言っていました。
産まれてからずっと一緒にいたパパが急に居なくなっちゃうんだもんね。
息子の言葉を聞くたびに涙が溢れていました。
約半年経った今では、
『パパお空で見てるかな?』
『(ふざけたり変な事してると)パパなにやってんだろーって笑ってるかなー?』
『パパお空で遊んでるかな?』
『パパいつ帰ってくる?』
と、少し言葉も変わりました。
スーパーに行くと必ず『これはパパの分』と言ってお菓子やジュースを買ってあげています。
しかも夫が生前好きで食べていた物ばかり。
息子はちゃんと見ていたんですね。
その行動を見てグッと来るものがあります。
まだまだ沢山話したい事があったな。
くだらないことで笑ったり(生前もそんな事少なかったですが 笑)、子供たちの事で悩んだり協力したり、
とにかく一緒に子供たちの成長を見守りたかった。
そして何か選択をしなくてはならない時、相談できる夫がいないと言うのが本当に辛くて悲しくて。
寂しいよ。
会いたいよ。
娘は夫が亡くなった時、里親さんに預けていたのでいなかったんです。
それが本当に心残りで...。
亡くなる数日前『また4人でこうやって寝たいね』と夫が話していました。
(最後の1ヶ月は介護用ベッドで1人部屋で寝ていました)
また、他の日には(まだ湯船に浸かることが出来たので亡くなる2ヶ月前くらいかな?)私と息子がお風呂に入っていたら(娘は沐浴で先に入浴済)
『ここに◯◯(娘の名前)がいたらなぁ〜』と寂しそうにつぶやいていました。
家族4人で撮った写真もほとんどありません。
私は撮りたかったけど、痩せ細ってしまった夫は写真を撮られたくないと言っていたので。
なので家族4人の写真は、娘の退院時病院の玄関にて。
そして12/25に病院で開いたクリスマスパーティーのみ。
飾りたいけど、夫はこの写真嫌だろうなと思って飾っていません。
というか、私の心の整理がまだできず、写真を見ることができません。
『家族4人で...』
夫はいつもそう言っていました。
家族4人で色々やりたかったよね。
どこか行きたかったよね。
お話ししたかったよね。
笑いたかったよね。
思い出すだけで涙が出ちゃいます。
今は関東から地元へ戻ってきました。
実家近くにアパートを借りていますが、1度も住んでおらずずっと実家にいます。
家賃83500円....。
もったいない😨
でも、正直実家にいないと私の体力が持たなくて。
とはいえ、うちの実家は農家なので、両親は朝5時〜夜19:30まで仕事。
お昼に一回帰って来るも、ご飯を食べてすぐにまた仕事へ行ってしまいます。
ずーっとワンオペで本当にしんどいですが、お風呂の時母に手伝って貰えるのでそれだけでも全然違います。
やっぱり、いざという時にすぐ助けてくれる人が近くにいるってだけて気持ちが違いますね。
しかし、私的には最終的にまた関東へ戻りたいと思っているので、息子が小学に上がる前に引っ越せたらなと思っています。
夫は実家近くのお寺様へ納骨したので。
纏まらない文章ですが、今は頭が回らずこれが精一杯です。
産後ボケなのか、老化なのか、はたまた情緒不安定的な物なのか何かわかりませんが、とにかく物忘れが酷すぎて参ってしまいます。
以上、ご報告でした。
次回は息子娘の近況をブログにできたら良いなと思っています。
写真は夫が亡くなった日の朝の写真です。
令和6年6月6日に少し書いて保存していたのですが、もう20日も過ぎていた。
時間が経つのが早いです。
そして明日は、夫44歳の誕生日です。