こうしてわたしはわたしになった | ゆうたのつぶや記

こうしてわたしはわたしになった

文化の日、らしく過ごそうと思って、(とてもよい天気だったし)、「ゴッホ展」を観に行った。

会場に着いた時にツマからTEL。
「何してんの?どこにいんの?」
「六本木。国立新美術館。ゴッホ展観ようと思って」
「ふーん…じゃあね」
(なんじゃいこりゃ(?_?)…)

展覧会の副題は 「こうしてわたしはゴッホになった」

なる程、若い頃の習作や模写が沢山。
特にミレーの模写。
農民の働く姿、種まく人…。

こんなに沢山、他人の絵の模写をしながら、全く誰にも似ていない絵を描いたゴッホ。

あんなに人物画を描きたいと希求しながら、一番沢山描いた人物画は自画像だったゴッホ。
(ゴーギャンを描かずにゴーギャンの椅子を描いたゴッホ)

棟方志功は少年の頃、ゴッホの絵を初めて観て興奮し、
「わだばゴッホになる!」(私はゴッホになる)
と叫んで、版画家「世界のムナカタ」になった。

この展覧会は、テーマとコンセプトがきっちりしていた。良い展覧会だった。

はっきり言って、ゴッホは模写は下手だと思った。

と言うより、上手いか下手かと言ったら、ゴッホは下手な絵描きなのだとわかった。

絵は、上手い下手ではないな、とわかった。

そして、天才とは何か、がわかった。

切ないな、天才。

夜、ツマに電話してご報告。

「どうだった?ゴッホ」
「あまり有名な絵は無かった。主に若い頃の絵」
「ふーん…じゃあね」
(なんじゃいこりゃ(?_?)…)

ゴッホの頃にケータイなんか無くて良かった。

こんなものがあったら、テオに宛てた手紙は残らなかったろうから。

でも今はケータイがあって良かった。

凡才は凡妻にケータイ以上に伝えるものなんかないから。

(でも、自分は凡才で幸せだなと思った、とても素敵な文化の日でした)