入院へ
①の続きです。
そして、小児がん拠点病院である県内の大学病院に到着。
そこは、数ヶ月前までまおの祖父である、私の父が入院していた病院で、子どもたちも見舞いに何度も通った病院でした。
到着から、そのままCTを撮って入院病棟へ。
個室に案内されてすぐに、心電図などのモニターがつき、輸血や検査をするための承諾書類の準備が始まりました。
まおは怖がる様子もありましたが、説明すると抵抗もなく検査も受けることができました。
医師に呼ばれ、別室に向かい説明を聞きました。
『診断のための詳しい検査は後日になりますが、おそらく急性白血病であり、
まおとくんは、脳内に白血病細胞がたくさん増えて髄液が溜まり脳を圧迫する水頭症を発症しています。
中枢神経に浸潤することは白血病にはあることですが、水頭症になるのは国内外でもあまり例が無くこれからの治療を慎重にすすめていく必要があります。』と。
大きく拡張した脳室が映ったCTの画像を見て、胸がギュウッと苦しくなりました。
小さな体でずっと頑張っていたんだ。
痛かったね、こんなになるまでごめんね。
心の中でずっと謝り続けていました。
もしあの時この状態で、転んでいたら…
もし、病院に来る前に脳の圧迫で呼吸が止まっていたら…
病室に戻ると、保育士さんと遊んで待っていたまおがこちらを見て
にっこり笑顔になりました。
「ああ、こんな時にもこの子は笑ってくれる。生きていてくれて本当によかった。」
「この子の側に居られることがなんて幸せなんだろう。」
全身が感動で震えていました。
きょうだいが大好きなまおは、すぐに「帰りたい!」と言い出すだろうと思っていました。
それなのに、いつも外ばかり遊びに出たがる2歳児が、狭いベビーベット上だけで
絵本を読んだり、動画を見たりして穏やかに過ごしている。
きょうだい達ともビデオ通話で画面越しに話していてもニコニコと、
『また遊ぼうね〜』と手を降っている。
不思議で仕方ありませんでした。
今までのまおだったら、点滴の保護で包帯ぐるぐる巻きで使えない右手も、胸や足に何本もの線で繋がれているモニターも、絶対に嫌がっていたはず。
一度でも『家に帰りたい。』と『病院はいやだ。』と言ったなら。
一度でもそう言って泣いていたならば、
私は「連れて帰ります!」と言ってしまったかも知れない。
それでもまおは、一度も言わなかったのです。
今まで極力薬に頼らず体の力を大切にきたけれど、すぐに抗がん剤も始まる。
脳も腫れがひかなければ手術が必要になるし、いずれは放射線治療や、移植も…
そして何より、大好きな家に帰れない長い長い入院生活が始まる。
私達が笑顔のつもりでも、親の不安が伝わっていたのかも知れません。
それでも、「まおは、自分自身でこの経験を選んでいる。」
この時から、そんな確信に近い感覚がなぜかありました。
変わる代わる入ってくる医師達が、
『あれだけ脳がパンパンに腫れていたら、普通は痙攣したり意識がなくてもおかしくないのに、この子は強いね!』と驚いていました。
「まおは十分に生きる力を持っている。強い強い命の力を。」
私たちに出来ることは、まおの持っている本来のいのちの力を信じて、手伝うことだけだ。
寝顔に頬を寄せて、呼吸を何度も何度も確信しながら、
まおが選んだこの場を楽園にしていくと心に決めた夜でした。