「ああ、1番近くで見せてくれていたんだ。」
映画のエンドロールで、
歌詞の一部を見た瞬間、ハッとした。
『 臆病な“ボクら“に教えてくれた。
立ち向かう強さを。 』
もう随分と思い出すこともなかった記憶。
臆病な私の記憶。
もうずいぶん昔、学生くらいの頃から、
もしいつか自分が重い病気になってしまった時は、
痛い思いをしたり、酷く苦しむその前に、
自分で終わりにしよう=自死しようと
決めていた。
苦しくない方がいいけど、後から迷惑をかけないのがいいな。
薬をためておいて一気に飲んで死ぬのがいいかな?
そんなことを大真面目に、でも深刻ではなくて
さらり当然のことように、考えていた。
看護実習中に、同じグループの友人の受け持ち患者さんが自死したことがあった。
とても悲しかったし、医療職の無力さも痛感した。
と同時に、「分かる。」とも感じている自分がいた。
ここ20年近くすっかり忘れていた感覚だったけれど、そうだった。
今も昔も、基本私は臆病だ。
まおの治療も最短で2年と聴いた時、
これから我が子に待っているであろう身体的、精神的試練を思い、一時は正直、絶望を感じました。
どうなっちゃうんだろう?そんな長い期間を耐えないといけないなんて…。
だからまおが、もし弱音を吐いていたら
連れて帰りたくなったし、
きっとそんな母のことも知っていたんだろうなと
感じています。
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僕にはその経験を超えていく力があるよ。
大丈夫だよ。
ちゃんと見ていてね。
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何があっても、
母親の自分が子どもの力になりたい!って
思っていたけれど、
強さを、力をもらっていたのは
いつでも私の方だったなぁ…
今でも、痛いのも苦しいのも避けたい怖がりは健在だけど、
自分で終わりにするという選択肢は全く、無い。
それは、目の前で
今を全力で生きる人に強さをもらってきたから。
自分だけでは、強くはなれない。
図らずも多様な経験をさせてもらって、
どれも不器用で不恰好で、
全然スマートな歩み方では無いけれど。
おかげで、「それってめっちゃ苦しいでしょ?」
って言われるようなことも、
「そうでもないよ?これも意外に面白いかも。」
と笑える、ゆるい人になった。
それも良き良き♡と思える、
自分の人生が好きです。
そんな歩みのままでいいから、
天寿を全うするその日まで。
みっともなくも、しぶとく生きて生きたいです。
#生きてくれてありがとう
#今渦中にいる人へ
#痛みにも終わりがある
#状況は変わらなくても
#自分次第で変えられるものももある
#逃げてもいい
#立ち向かわなくてもいい
#それも強さ
#あなたがあなたで生きる姿に勇気をもらっています。