私は、小笠原さんの当時生きていたときの話をそのままが知りたくてそのままの言葉を学んでます。
うのみにしないで研究を生きてながら試したり、見えない世界をしりたかった。
お札も当時をかきかえた人ばかりなので、そのままをお札にして毎日見えないごみ取りをしてます。
お祓いも普通の祓いとは違い、切り離すだけではなくてそれだとまたはりつくので、ちゃんと消してもらいます。毎日ケアもしてもらいます。
コロナのときも自然さんが、中国に用意してたのも。
今までの祖の生き方人間の種類もこれからは、どう変わり行くなかでも細かく学んでます。
皇の人も自然のとこと生まれてくるときにわけられ、浄化して理論でルールや生き方を祖から皇にと。
私は、祖の生き方ができないと認定されたかのように、変人は強いものにまかれてないものをいうらしいです。
宗教みたいに上をつくり理論も伝えるのはや、組織みたいに集団でではなく、独自で居心地のいいとこを一人でたのしいをするらしい。
友だちもなくなったらいいことらしい
化粧があつめだとエネルギーがさがってるから、あげるためにあつくしたがるらしい。
自分の行動を自分で観察して見るものも自然を人間のつくれないものを見てきれいなものが目に入る自分らしい。
自分を正常とおもわないこと。
人間の作りは神様が作った、アクセルはついてるけどブレーキはついてない。
構造上前を向いてばあとつっぱしることができてもとめるのは難しい。
ブレーキをかけるのは本人の今までの知識と経験。
自然は人間にアクセルを与えているので放っておいたらアクセル踏んで突っ走りけがをする。
皇のほうは、ゆっくり穏やかにですが、変わるのは個人差があるのかなと思います。
時々ブログでつぶやいたりしますが、小笠原さんは化粧が濃い人には近づかないことと言うように、私はそうしてますが、それは個々に自由にと思います、