「めぐりあう時間たち」 (2002年・アメリカ)


<あらすじ>

時を超えて企画される三つのパーティ。

一つは1923年ロンドン郊外、
「ダロウェイ夫人」執筆中の作家ヴァージニア・ウルフが
姉とお茶を楽しむために。

一つは1951年ロサンジェルス、
「ダロウェイ夫人」を読む妊娠した主婦ローラが
夫のために考える誕生パーティ。

そして現代、2001年ニューヨーク、
「ダロウェイ夫人」と同じ名前を持つ編集者クラリッサは、
エイズで死に行く友人の作家を祝福するために
受賞パーティの企画に智恵をしぼる。

それぞれの時間に生きる三人の女は、
やがて「ダロウェイ夫人」に誘われ
ひとつの物語へと紡がれていく・・・。

<感想>

う~ん・・・。ハッハッハ・・・(汗)

時代と場所を異にする女性たちの一日、朝・昼・晩・・・を、
短い時はワンカットで(振り返ったら、違う人物になっていたとかね)
繋げていく手法、違和感がなくて、とても自然に感じました。

三人の女性達を演じた女優たちの熱演も「職人技」でしたね~!!

格調高い文芸作品という感じで、
作品としては優れた佳作なのだと思います。


*以下ネタバレあり*

でも、映画の世界は、「閉塞感と死」の臭い(←あえて匂いではなく)が
プンプンしていて、重苦しくて、とても疲れました。

なので、観終わった後、気分がとても暗~くなりました・・・。

ヴァ-ジニア(N・キッドマン)は、
小説と現実の狭間に漂っていて、「神経症」(?)の
診断を受け(天才によくあるパタ-ンですね)、
ロンドンから遠く離れた田舎で療養生活を営んでいるが、
こんな不本意な刺激のない田舎暮らしをしている自分は
死んでいるも同然だから、だったらいっそ死んでしまえば
苦しみから逃れられると思っている。

ロ-ラ(ジュリアン・ム-ア)も、
優しく実直な(でも野暮?)な夫がいて、子供がいて、
そして第二子がおなかにいる専業主婦。

世間的には幸せなのかもしれないけど、
それが自分の居場所だと思えず、
その日、自殺をするためにホテルの一室に向かう。

クラリッサ(M・ストリ-プ)には、
人工授精で授かった年頃の娘が1人。
女性と暮らして10年が過ぎた。

かつての恋人(エド・ハリス)は自分を捨て男を選び、
そして今はエイズの末期患者。

そんな彼の介護を彼女は何年にも渡り続けている。
彼女の時間は、幸せだった18歳の時に止まったまま。

三人は三人とも、
ナ-バスでとても大きな闇を心に抱えているんですね。

だれしもそういう部分はあると思いますが、
私はこの映画では、どの女性にも
あまり共感・感情移入できなかったです。

ヴァ-ジニアの夫も、ロ-ラの夫もすごくいい人で、
彼女達を深く愛しているのに・・・。

その愛情は彼女達の「生きる光」にはならないんですね~!
それどころか、「呪縛」でしかない・・・。

クラリッサは、ほかの二人と立場が少し違って、
愛し、尽くして生きてきた。

時代の違いで、
死を選ぶ者・家庭を捨て自分を貫く者・
新しい形を生きる者・・・
三人三様の選択が描かれています。

う~・・・@@

なんちゅうか、それじゃあ救われないじゃな~い!
って思ってしまいました。

っていうか、「優しさや愛情は結局自己満足に過ぎない」って事??

「どんな犠牲を払っても自分に忠実に生きろ」って事??
そんなんあり?って・・・。

この映画は
「生きることのすばらしさを描いた作品」と耳にしていましたが、
どういう部分からそう感じられるのか、
私にはよくわかりませんでした。

どんなに苦しくても、
それでも人は生きていく・・・という部分でしょうか?

もう一度観たら、きっと色々と思う事も違ってくるんでしょうね~。

一度見た限りでは好きな映画ではありませんでしたが、
ツマラナイというのとは違います。

「自分らしく生きる」という事は?・・などなど、
色々と考えさせられる映画ではありました。