オットと2人で出かけた
鎌倉紅葉狩りのつづきです。
「鎌倉宮」へ向かう途中、
「永福寺(ようふくじ)跡」に寄りました。
「永福寺」は1192年、源頼朝が
義経や奥州藤原氏の慰霊のために
建てたとされる幻のお寺。
1960年代後半に国の指定史跡となり、
復元・整備事業が計画にあがり、
今年6月に10年に及んだ
整備事業が終わり、公開されました。

計画立案から50年近くの歳月を経て、
ほんの一部の復元が成就したのですね。
平等院鳳凰堂の実に2倍の規模を誇ったとか。

建物の復元予定はないそうです。

さて「鎌倉宮」に着きました

別名「大塔宮(だいとうのみや)」
白と赤の鳥居が印象的
後醍醐天皇の皇子=護良親王をご祭神として、
明治天皇が創建しました。
二の鳥居と本殿

手水舎の辺り、紅葉してますね。
鎌倉幕府の討幕に尽力し、
幕府滅亡後ようやく迎えた
建武の新政(天皇親政の復活)で
征夷大将軍に任じられるも、
足利氏との対立により、
9か月にもわたり土牢に幽閉され、
28歳という若さで非業の死を遂げられた
後醍醐天皇の皇子=護良親王。
本殿奥では、
その土牢(岩窟)を見ることが出来ます。
最初は同じ討幕派だったのに・・・
戦乱の世って・・・
こちらは「撫で身代り」

追っ手をかわすため、
護良親王の鎧直垂を着用して身代りとなり、
腹十文字に掻き切って壮烈な最後をとげた
至誠純忠の勇士・村上義光の木像。
病気平癒・厄除けを祈願する場となっていて、
木像の、自分の身体の悪い部分を撫でると、
身代りになって下さるということで、
全身、くまなく撫でてまいりました
木像はツルツルです。
「身代り様」とも呼ばれ、
信仰を集めているそうです。
これは「厄割り石」

このかわらけ(素焼きの陶器)に息を吹きかけ、それを
すぐ横に設置されている厄割り石にたたきつけて割ると、
厄を祓えるというもの。
思いっきり割ってきました(笑)
最後に紅葉の写真をUP




社務所のそばにある、カエデの大木です。

お次はグルメ編です
鎌倉紅葉狩りのつづきです。
「鎌倉宮」へ向かう途中、
「永福寺(ようふくじ)跡」に寄りました。
「永福寺」は1192年、源頼朝が
義経や奥州藤原氏の慰霊のために
建てたとされる幻のお寺。
1960年代後半に国の指定史跡となり、
復元・整備事業が計画にあがり、
今年6月に10年に及んだ
整備事業が終わり、公開されました。

計画立案から50年近くの歳月を経て、
ほんの一部の復元が成就したのですね。
平等院鳳凰堂の実に2倍の規模を誇ったとか。

建物の復元予定はないそうです。

さて「鎌倉宮」に着きました

別名「大塔宮(だいとうのみや)」
白と赤の鳥居が印象的
後醍醐天皇の皇子=護良親王をご祭神として、
明治天皇が創建しました。
二の鳥居と本殿

手水舎の辺り、紅葉してますね。
鎌倉幕府の討幕に尽力し、
幕府滅亡後ようやく迎えた
建武の新政(天皇親政の復活)で
征夷大将軍に任じられるも、
足利氏との対立により、
9か月にもわたり土牢に幽閉され、
28歳という若さで非業の死を遂げられた
後醍醐天皇の皇子=護良親王。
本殿奥では、
その土牢(岩窟)を見ることが出来ます。
最初は同じ討幕派だったのに・・・
戦乱の世って・・・
こちらは「撫で身代り」

追っ手をかわすため、
護良親王の鎧直垂を着用して身代りとなり、
腹十文字に掻き切って壮烈な最後をとげた
至誠純忠の勇士・村上義光の木像。
病気平癒・厄除けを祈願する場となっていて、
木像の、自分の身体の悪い部分を撫でると、
身代りになって下さるということで、
全身、くまなく撫でてまいりました

木像はツルツルです。
「身代り様」とも呼ばれ、
信仰を集めているそうです。
これは「厄割り石」

このかわらけ(素焼きの陶器)に息を吹きかけ、それを
すぐ横に設置されている厄割り石にたたきつけて割ると、
厄を祓えるというもの。
思いっきり割ってきました(笑)
最後に紅葉の写真をUP




社務所のそばにある、カエデの大木です。

お次はグルメ編です