牧野の戦い (BC11世紀中 BC1046年)
①奇妙な甲骨文字 2cmという小さいもの亀の甲羅に 1mmの文字が
文武帝乙(ていいつ=紂王の父) 宗(みたまや=亡き魂をまつる) 貞
2012/11/12
~ 2012/11/16にも
と一緒に 次の甲羅も
②牧野の戦い8年前 (殷包囲網)
其微(部族) 巳 燎(かがり火) 師 氏 受燎
微の高官が、かがり火を持って周を訪れた -- 牧誓八国
蜀は、殷にも匹敵する規模の国で、大型仮面、突目仮面、青銅神樹などの青銅器を作っていた
殷の末期には、周から青銅 の原料が入らなくなったため青銅器ではなく、陶器の出土(青銅器の武器も少なくなった)がほとんどとなった
③牧野の戦い直前の占い
殷の東にあった「上へい」という地での反乱を無事治められるかの占いの甲骨文
④牧野の戦い (BC11世紀中 ※ BC1046年)
殷の紂王 と 周の軍師太公望 の戦い
直後に作られた「 利簋
」 に記載が
そこには、
「武王征商,唯甲子朝」 (子の日の朝 武王は、殷に攻め込んだ夕方には殷を支配した) と
1/10 20:00 BS3 「よみがえる英雄伝説」 より