墨雅会の学習誌紹介 | ブルーの「書自由也」ブログ

墨雅会の学習誌紹介

毎月の墨雅会の学習誌は、定価650円(送料別)、表紙除いてA4版64ページ、カラーページ2ページ含むです。
今回、新役員の改選があり顔写真入りの紹介もなされました。
課題の参考条幅6点、役員特選条幅4点、漢字部課題級別半紙3点、漢字随意部半紙4点、細字部課題半紙半分4点、かな級別半紙3点、ペン字2点、日本詩文2点、実用書部1点の課題さらに篆刻講座の課題と優秀作品が掲載されます。
そのほか、優秀作品の紹介、臨書講座、昇格試験参考、審査短評、競書成績表、支局・支部紹介、役員名簿などです。
私は、皆川雅舟会長の書いている「私の百臨」が、大変勉強になっています。

ブルーのブログ-墨雅446

雑誌購読者は、正確にはわかりませが、約1万人ほどとか聞きました。
なお、小学生以下の購読紙「ぼくが」もあります。興味のある方は、ご連絡ください。

「私の百臨」
よく先輩から言われていた言葉
「書は臨書をしっかりしなければだめだ。それもいろいろやってはいけない。一人の作家のものを生涯続けて、名前をとったら、原本と寸分違わないくらいに習い抜かなければ、臨書をやったとは言えないんだよ」
それは判ったけれど、さて誰のものを習い抜いたらいいんだろう。
はたと因ってしまった。結婚相手を探すようなものである。よし、それでは百人の女性と付き合ってみて、一番気に入ったものと生涯付き合おう、と思って始めたのが百臨のきっかけである。昭和五十年、私が五十二歳の時である。
二玄社の書蹟名品叢刊等を見て手当たり次第に書きまくった。丁度、歯科大学の影山理事長と快を別かった直後のことでもあり、その妄執とも別れる為に、夜通し書いたこともあった。朝○時○分了と時間が書き添えてあるのもあった。約10年近く書きまくったが、その後毎日書道展に出品するようになってからは、いつの間にか遠のいた。
でも、先輩からよく、背の高さほど半紙を書かなければ、下手とか上手とは決められないとよく聞かされていた。半紙は上質なものを伜取りして印刷して貰い、それを専用していた。書いた作品は表紙を付けて全部和とじにしてあるが、十分に背の高さは越している。半紙背丈というと、二千枚一締めとして約十反、大休二万枚ということになろうか……。
大体有名なものからまず始めたのであるが、後になってからは、あまりふだん書かれないようなものまで手を染めていた。しかし、書いてみて気付いたことは、ふだんあまり書かれていない趙之謙や何紹基等のものが、臨書していて興味が湧いてくることに気づいた。
人には添ってみろ、馬には乗ってみろと言われるが、臨書も書いてみなければ味わいは判らぬようである。
結局生涯をかける古典には巡り合えなかったものの、おかげでいろんな勉強をした。それが、やがて『墨雅』誌を発刊するようになってからは、いろんな面で役に立った。世の中には、無駄な勉強というものはないようなもののようである。
その後、前衛書の大家と言われる上田桑鳩先生に接する機会があり、先生の著書は大体読ませて頂いたが、ある時本屋で偶然手にした書の中で、ひときわ私の心を捉えたのは、大型の折帳に真黒に墨をぬり、その上に朱で書かれたものだった。多分書き損じた折帳を黒でぬりつぶして書かれたものではなかろうか…。
その後書きの中に、大体このような意味のことが書いてあった。
「私は今まで随分と臨書をしてきたつもりであるが、今にしで、更に臨書の大切さを悟り、折帳にして250冊あまり書いたところで病気になってしまった。」
あの大家でさえ、そのような勉強をしているのに、私も勉強に励まなければならない、と思いを新たにしたのである。
書を勉強することは人生を勉強することである。いろんなことをやってみて、つくづくとそう思った。
今まで長い人生をかけて書を学び、書と共に歩き、書を通じて人と接してきたが、書を学ぶことは人生の生き方を学ぶことであり、また、書法を通じて人生の法則を学ぶことであると、しっかり知らされてきた。
最近若い人で書に親しむ者が多くなってきたことは、真に嬉しい傾向である。
一昔前、書をやっている高校生が私のところに来てこう言った。
「高校の先生にこう言われました。どうしましょうか……」
「何と言われたのか……」
「今どき書等学んで何になる。コンピューターをやっていれば、絶対メシの食いっぱぐれがない……と」
ところが今は小学生でもコンピューターをやっている。
最近嬉しいニュースを聞いた。私の知っている大学卒のお嬢さんが五人の求人の中に入って、採用試験を受験したところ、彼女だけが一人採用になった。どうしてかと聞いてみたら、彼女は卒業前に、書の師範を取得していたというのが原因だったということなのである。全く現在は逆の結果が出ているのである。これも書の功徳というものであろうか。
私も書の功徳によって生かされている。苦しいことがあってもひるんではいけない。へこたれてはならない。毎月書いていれば、下手になることが無理なのであって、目に見えなくても上手くなっているのであるから、迷わず勉強し続けることが大切なのではなかろうか。
好きこそものの上手なれ……。