先日 母が他界した。


遅い出産であったけど、まだまだ頑張れる歳なのに。

まだ、痛みはある ついほんの最近のこと。

書くことや、色々と考えたこともあったけど、

気晴らし?というのもおかしいけれど、

家の中で何もしない位で過ごすよりは、

仕事も含め、それなりで復活した方がいいかもって。

多分、おやっさんが亡くなった10年ちょい前の打撃に

似たものが襲ってくるだろうから。


潜む悪魔の前に違うものの発症で気づいた。

その前に物忘れとかが、若干、気になっていた。

気づけたかもサインはあったかもしれない。

まぁ、責めだしたら・・・キリがないんだわ。


見つかった時は末期で、手の施しようがなくて、

播種、転移という状態だった。

不思議と自覚症状がなく、最後まで痛みは

一切言わなかった。

そんな風に見えないくらい よく喋って、

ドクターも感心してた。


いつかは・・・と思いつつも、何かの準備とかしてしまうと

余計なものがくると、現実逃避を続けてた。


転院が何度か重なったけど、最後は地元に戻っては来た。

けど、そこからが・・・あっという間で。

転院せぬほうが、よかったのかもなぁとか。

色々、思ったりする。


ただただ、やせ細ってくる おかーちゃんの姿に

これは母ではないと 現実逃避続けた。

怖かったから。


最期は眠るように。

そして、そこに残された顔は、うっすら笑顔だった。


長男は精神的に不安定がかなりきてて、

気丈に振る舞いながらも・・・乱れてて。

1号、2号は 私のフォローをしんどい気持ちの中で

やってくれた。


私がきょうだいもなく、母と子だけの家庭なので、

やることの負担は相当にくることは

予測はしていた。

精神的不安定が、あの頃のようになる恐怖と、

置いていかれてしまった寂しさと。

ヒトリだ・・・と思ってしまう・・・。


父の時は 母の片腕で、ほぼ走りまくってた。

同様にして、走りまくらないといけないけど、

喪主だから・・・ちょっと違う。

それでも、忙しいのは同じ。


ただ、あんまり泣いてる時間がない。

一番、辛かったのは、お花を入れる時。

骨になった姿は、父の時が人生で初めての

骨を拾った人なので、かなりのショックを

受けてしまったが・・・。


何か、虚しかった。

こんなに、何もないんか・・・と。


そして、住職さんには

父の戒名と似てて、父とは反対な

でも似てる感じの


素晴らしい戒名をつけていただいた。


父と同じように、父の時と同じ場所で、

当時のことは若干しか覚えてないけど、

とにかく、父と同じようにすることが、

母にはよいだろうと、式を行った。


こういう時しか、会えない親族とか、

ほんっとヒサビサの方とか、

たくさんではないけど、来てくれた。

家にも、来てくれる人もいた。


思わぬ人がきたり。

それもまた、何かなのだろう。


まだまだやることも、気持ちの整理も、

私が不安定になることも、まだまだあるだろうけど。


ゆっくり顔をあげて

進んでいかないといけない。


ヒトリではない。

どうも、時々、ソレが襲ってくるのだけど。


色んな人が いっぱい支えてくれてるし、

友にも、感謝しきれない。


心配は色々あるかもしれないけど、

そこから、おとーちゃんと見ててください。