義母が他界して。
通夜、葬儀滞りなく終わり・・・。
火葬場での、義母の姿は、
とても綺麗な骨だった。
が、下半身が弱かったため、下半身の骨、
悪くしていた胸の骨等・・・、首から下はボロボロに
程近く。
しかし、頭蓋骨だけは、本当に綺麗な形で
出てきた。
たくさんの義母の友達も参列してくれた。
うちの職場はさすが大手あってか・・・
献花も、社長と組合支部長から届いており、
尚かつ、弔電も両名から頂き、
本来は主任が出席して、渡すらしいのだが、
お香典も頂き・・・。
なんとも、凄いな。そういうとこだけは、感心。
この何日間の間。
私の立ち位置が基本的に「別れる前の人間」ゆえ、
この位置に座ってるのが本来なのか、よく判らず。
また、義母が別れた内縁の旦那さんの兄が
顔を出していた。
そのことを、香典の帳面を見せて、旦那に言ったら、
物凄く嫌な顔をして払いのけるような言い方で、
「あー、もうええ、もうええ。」とやられた。
一応、報告しておきたかったのに。香典も表に名無しだし。
その話を、通夜の帰りに、車の中でその話を息子にした。
そしたら、2号が「ああ、あれね、あのときね。」って反応して、
「あれはちょっとキツい言い方だったよね。」と。
最近の2号は、何か的をついたようなストレートな表現を
するようになり、些か、驚くことがある。
義母が亡くなった時も、会社とか、連絡しなきゃなーと
どこをどう休むか、考えて居た時、
1号は以外と今まで通りで、「大丈夫?」なのに、
2号は「・・・今年は、嫌なことが続くね・・・。」とぼそっと
言って去った。
義母の内縁の元旦那の兄が来ていたことで、お手洗いで
一緒になった義姉と話になり、
「パパも来たらいいのになぁ。」と、私ら二人は同じ考えだった。
色々あったかもしれない、おじいちゃんとの確執は相当なもの
だとして、顔を出せなくても、もう会えるのは最後なのだ。
好きあって、何十年と同じ屋根で暮らしたのだ。
もう一緒にやっていくことは、結果的にできない感情だったと
しても、そこは違うだろう。最後に顔くらいみたかったろう。
来ないのではなく、来れないのだろう、と。
翌日、葬儀の日、喫煙室で旦那と旦那の従兄弟が会話してた
一部を聞いたが、おじいちゃんとモメたことや、墓参りがどうこう、
色々言ってたが、なんとなく、パパから、連絡があり、
出席したい意向を、旦那に伝えたのかもしれない。
そんな風にも取れる内容のやりとりだったから。
が、おじいちゃんや、旦那ならば、もちろんお断りだろう。
相当、嫌っているから。
なので、義姉と旦那では、少し温度差があるんだなとは
思った。
葬儀の最後、花を入れていく際に、娘らと私とで作った
ものを入れた。手紙と。(息子は手紙のみ。)
私の手紙は「ごめんね。」の連発だった気がする・・・。
1号は紙細工でケーキを作り、2号は前に死んでしまった
義母が飼っていたワンコをみたてて作り、
私と娘らで、義母が好きだったピエロを作った。
「せっかく作っても、焼いて消えるんやなぁ。」と
言っていたので、写真でその作品だけ残してある。
旅行、コーヒー、スィーツ。
義母のオムライスは喫茶店並みにうまい。
元気だった頃は、トールペイントにはまっていて、
私も少ししたが、あまりうまくできず、義母の方が
上達するのが早かったなぁ。器用だったんだろうな。
晩年は病気で、食べ物の制限、身体が思うように動かず、
何かないかなーって感じで、韓流ドラマにはまってたな。
穏やかで、ゆっくりな口調と、優しかった人だった。
おしゃれが好きだったな。
何も・・・してあげられなくて、ごめん。
結婚したての頃、もう他界した義祖母も旦那にとっては
母みたいなものだからと、義母と二人にカーネーションを
贈った。
自分の息子にはしてもらった覚えがないから、義母も
おばあちゃんも喜んでた。
誕生日や、母の日やら・・・色々とイベント事に、おじいちゃんたちも
含め、プレゼントをよくしてたのを覚えている。
そうすることが、自分の認められたい気持ちの一つで、
喜んでもらう顔を見ることが、それが満たされる一つで、
一人っ子の私は、この大家族の家に嫁いだことで、
他人である立場の親族、中に溶け込もうと何かの形で
必死だったのかもしれない。
手っ取り早い方法もあったのだが、それはいかんせん・・・
私が拒否反応を示すものだったから・・・。
正直、これから、落ち着いた後に、私ら夫婦の決着もつく・・・。
カードをあちこちで使ってるため、信販会社が同じところは
合算して返し、その2点のカードは解約することにした、と
そういう話も聞かされた。ガソリン用のカードを一枚だけ、と。
新たに作るのはもうない、と。
ま、一応・・・そういう返済計画的なことは聞いた。
少しは、自分の負債の整理をしないと、マズいと思ったんだろう。
後、息子が前に買ってやったブレスを、自転車で山道走行中、
手首から知らぬ間に消えていたことを告白し、ここ何日間、
ブレスがなくなってるんではないか?と感じてた私は
何度か、問うてみたが、2階にあるとしか言わなかった。
怒られるとおもっていたらしい。ま・・・そういう風に、威嚇して
しまってるのは、私のせいだが・・・。
けど、私も同じ時期にブレスが切れ、一部、無くなってる。
何となく、切れた時に嫌な予感がしたのである。
義母が昏睡に入った頃と同じ時期だった。
ま・・・切れたりなくなったりは、守ってくれた証拠と言うので、
そういう意味では、孫や私を守ってくれたのかもしれない。
孫はもちろんのこと、義母は義母なりに、私の身の上も
自身と似た立場になる故、心配してくれてたのかなぁと
思うと、やっぱり、もう少し顔を出しておくべきだったと
後悔してしまう。もっと、話しておくべきだった、と。
今は、おばあちゃんとゆっくりお茶しながら、お話でも
しているのかな。
上から、多分・・・父も含めだが・・・
私らを心配そうに見ているのかもしれない。
ごめんね。としか、言い様がない。
頑張ってみたけど、無理だった。
だから、違う道で・・・頑張るしかないし、私は少しでも
変わって、よくなっていくように、進むしか、
それを示すしか・・・・・・ないな。
怒涛になってしまいそうな平成23年。
来年は笑いたい。
