「幸せ」というものは、どこに行ってしまった

のだろう。


私は「誰か」と「共有し」「共存する」幸せを

探しては、間違い、探しては、間違ってきた。


それとも、私が描いた絵図が理想が高いのか。


人の幸せというものに、「そうか」と思えるように

なったのは、最近だ。


多分、自分自身が「幸せ」というものを、「人」に

見出すことをやめたからだろう。

生活や環境の中である、小さな「幸せ」を

集めることに決めたからだと、思う。


けれど、自分の「幸せ」というものは、忘れたわけではない。

それは自ら、何かを斬るように、ぶった斬ってしまう

ことで、自分の中に葬ることにしたからだ。


時々、そいつが目を覚ます。

その度に、ぶった斬らないといけない。


諦めという名の剣で、夢という人間を

斬るかのように。


ただ、人の微笑ましい姿を「そうか」と眺める。

それはそれで、少しだけ、私の心に綺麗な

花を見せてくれた気持ちにはなる。

だが、それは孤独で、風に吹かれながら見ている

自分がそこにある。


愛を求めてはいけない。

愛を求める相手もいない。


愛というものに迷う時は私はそれを斬るのみ。


そして、誰かが花咲かすのをそっと見ている。


愛を探すこともしない。


愛情というものが、一番の安堵の場所と

わかっていても、

愛情というものが、一番自分に欠落している

ものと知っていても、

誰かに愛される(認められる)ことで、自分が

救われることだとわかっていても、


愛を探すことはしない。


愛が不可欠だと知っていても、

愛を求めることは、私にはもうできない。

それは終焉まで。