1年の大会をちょっとだけ見に行ってきた。

本来「俺は出れるわけじゃないから、俺が出れるまで、

試合は来るな。」と言われていた。


が、父母会のこともあるし・・・一応、顔くらい出して

おかんと・・・と思った。


けど、実情、そこに来ているのは、スタメンクラスの

お母さんばっかりで、中にはスコアつけてる念入りな

人、子どもの勇姿を撮ろうとカメラ構えて必死な人、

そんなんばっかりやった。


それに、そのスタメンクラスになるメンツはリトル上がりで、

結局、元々昔からある馴れ合いの中に私は声をかける

程度で入ってはいけなかった。


行く必要ないな、逆にあいつにも変なプレッシャー

与えることになったなと、後悔した。


リトル経験者を優遇されてしまう実情の中、

初心者もどきが努力しても認めて貰えない理不尽を

あいつは苛立っていて、それでも、文句言わずに

練習に出て、自主的に声だして、やって。


本来、小1の時点でリトルに入れるつもりだった。

その頃、彼はスイミングをしてたのもあったし、

休みがつぶれるのとか、遊びたいのとかあって、

その時点では流した。


彼が3年か4年の頃、野球にシフトしたいと言い出した

時、私は鬱病が出だしていて、当番とか色々と面倒な

リトルには入れたくなかった。

なので、そういうのがないサッカーに入れた。

もちろん、サッカーも好きだったので。

けど、実際、続かなかった。


やりたいと言い出した時、旦那は私のフォローをすると

言ってたが、それも口先だけだろうと思ってた。

ま、案の定、私が動かないから、動いて入れてやろうと

いう気配は微塵程度にしか見せなかったしね。


じゃ、私が動かなきゃいけない。

当時は、自分がソレになってるとはわからず、とりあえず

嫌の一点張りで。

一時期おさまって、小学校の役員の座についたものの、

また再発してしまって。

その頃も言われたが、できたもんじゃなかった。

家事も何もできなかったから。


そういってる間に夫婦関係が悪くなっていく。

別居になって、尚更リトルなんて、入れてやれる状態じゃ

なくなった。

精神的負荷があって、鬱病なのに家のこと一人でして、

その上、リトルなんてできっこなかった。

それに、もう一度彼が言い出した時期はもうあと1年も

リトルを続けられない時期でもあったし。


だから、中学まで、我慢してくれって言った。

それまで、我流でトレーニングしろ、と。

中学に入ってやるときも、リトルの子との差があるから、

人の数倍努力しないと無理やでということも、

散々言った。

それでも、彼はそれを選んだ。


ただ、こういう光景を見ていると、入れてやっとけば・・・

スタメンなれてたのかなぁとか、それに近いポジションに

立ててたんかなぁとか・・・色々思う。


補欠かー虚しい~~って気分じゃなくて、自責のが強くて。

私が入れてやらんかったこと、恨んでるやろうなって。

いや、恨んでないとしても、恨んだことはあったやろうなって。


夢を潰したのは、自分じゃなかろうか。

まだ、夢を潰したわけじゃないけど、力添えできなかったこと。

それを申し訳ないと思う。


私がもう少し強ければ。多分、いい環境が少しでもあったと

思う。

努力しても虚しい・・・折れないで欲しいと願うのみ。


試合はもう行きたくない。応援も試合の一つ。

けれど、私はあそこに行ったら、自分を責めてしまう。

彼が「来い」と言う日までは・・・行かない。いや、行けない。