予定通り帰国するか滞在延長するかとても迷っていた時に、ふと外にでて散歩を始めたら、「残りたい」という気持ちが溢れていたので、もうウダウダせずに延長しよう!とフライトをキャンセルすることにしました。

格安で購入していましたが、幸いにも航空会社から直接買っていたので、とりあえずリファンドは期待せずにフライト日を変更できるか確認の電話を。
あいにくフライト日の変更は出来なかったけれど、キャンセル料を払えば差額をリファンドできるとの応えが。うっそ~!! なんだかもうこういう運命だったような気もしてきます。

あとは、帰国したら行く予定だったインド行きのキャンセル。これは辛かったです。
でもインドはいつでも行けると信じていたので、キャンセル。
そして家も退去することを大家さんに伝え済みで新しい住居人も決まっていたので、また家探し。
住みなれた地域で探していたけれど、なかなかピンとくる物件がなく、思い切って違うエリアも探し始めたら、いい物件に出会えました。

久しぶりのシェア、そして新しいエリアでの生活を通して、自分の適応力と過去への執着に気付かされました。新しいこと、新しい関係を始めるには、過去とお別れしないといけないのですね。それが人を強く美しくさせるような気もします。

延長したいと思った理由の一つに、気になる人の存在がありました。
これから仲良くなれるかも!?っていう所でお別れなんて。。
と未練タラタラでしたが、思い切って遊びに行くこと(コーヒーでもどうかなと)を誘ってみたら、時間がないから難しいと。その後も話したり一緒に帰ったりする機会はありましたが&自ら作りましたが、やるだけやってやっと、彼にその気がないことが自分でも受け入れられました。
今では友達です:-)

この彼の存在がなかったら、滞在を延長していなかっただろうし、こういう結果になったからこそ、今の状況というか、これからやって来る関係を大切に感じて大切にできるとおもいます。

今でも少し傷心ですが、time will heal my heart.
2ヶ月インドでヨガの練習やチャンティング(サンスクリット語で唱えるお経のようなもの)、サンスクリット語やヨガ哲学の勉強を通して、私はまだまだ「教える」立場には立てないな。。と思いつつも、やっぱりカナダの先生の元で定期的に練習したかったのと、もう少し英語での会話力をつけたいなという気持ちから、いよいよカナダに向かいます。

時は真冬、日本でも雪が積もっている頃だったため、渡航日は無理せず春先にしました。
その間は、前回のバイト教訓を生かして、個別指導教室で英語を教えるバイトをしました。
2週間という短期でしたが、ずっと心にひっかかっていた、「英語を教えること」を実現でき、年頃の健気な子供達を見て、私も夢を諦めずに頑張ろう!と思いました。

高校の英語教師の資格を取っていましたが、教育実習や英会話学校のカウンセラー職の面接を受けた時に、私にとって英語は特別なものだったので、いわゆる「提供」することにとても抵抗がありました。なんかこの辺りがヨガとヨガを教えることの関係性に非常に似ているのが気になります^^;

英語を真剣に学んで10年過ぎてやっと、提供する側に立つことができました。
やっぱり求めているレベルがたかいのかな。。
バイトが終了した後は、カナダに行く前にどうしても再再挑戦したかった、ケンブリッジ英検に合格するため、1ヶ月受験勉強を行いました。

イギリス大学院留学直後に受けて50%で不合格、その後オフィスワークを始めて受けた時も50%で不合格。3度目の正直ということで、勉強室に入会して、大学受験生や国家資格受験生に混じって勉強開始。思うように力が伸びてるとは思えず、資格の勉強はある意味体力勝負だなともかんじました。結果、まさかの50%で不合格。ここでスッキリこの試験とはお別れしようと思えました。

そしてそして、何よりも、勉強室で勉強している高校生達を見て、積み重なっている参考書の山を見て、そして生徒の1人が受験が終わったのか荷物を全て引き上げている姿を見て、「もう受験は終わったんだよ」と言われているようでした。
そうです、私の大学受験は私の中でまだ終わっていなかったようです。
努力すれば報われると思い、大学受験で希望する大学に行けなかった悔しさを、合格した大学内での交換留学制度に向け、それも帰国女子の圧倒的な英語力に負け(大袈裟)、大学さえも辞めてカナダの大学に編入したいと親に頼んでも却下され(まあそうでしょう)、自暴自棄になっていたけれどとりあえず大学を卒業して就職して自費で留学するんだ!と貯金に一直線だった卒業後の3年間。

この辺りは留学のなれそめに書いたと思うのですが、ひょんなことからアメリカからイギリスに行き先を変えて、約2年イギリスの地方都市で貴重な時間を過ごしました。
20代の1番の思い出です。

話が大幅に逸れましたが、何かが成し遂げられなかった悔しさを、新しい何かに向かうことで乗り越えてきたように見えますが、実際はいつも辛かったように思います。がんばることは尊いことですが、今の自分がダメだから○○を目指して完成することで初めて満たされる、幸せになれるというマインドセットがずーっとありました。

それは本当につい最近まであって、ヨガをしていても、「ビーガンになってポーズも進んでパートナーもいて教える事ができて」それで幸せ=私の場合は心の平安 がもたらされると思っていました。でも、やっぱりしんどい。ますますドツボにはまっていきました。

そして「辛い」ということを、日本にいる友達や家族に言うようになりました。すこしずつ、助けを求めて人を頼ることが出来るようになりました。なんて今までひとりよがりだったんだろう。全て自分でやろうとし過ぎていました。心も体もコチコチでした。ヨガが暴力にさえかんじました。なんでカナダになんて来たんだろう。日本にだってたくさん先生はいるのに。。

英語や海外でヨガをする(教える)という大きな目標を、泣きながら手放すことにしました。初めて降参しました。日本に帰ろうと決めましたが、いざお世話になった先生になんて伝えよう。。とかんがえると、なんと理由が見つからないのです。これだけ辛い思いしてまで何で。。?

もうそれはブーメランのように、すぐ返ってくるのです。
ダメだ、なんか知らないけれど、やっぱり海外でヨガしたい。。

もうここは追及するのをやめようと決めました。
そして帰国日を延長することに。

長いけれど続く
ブログを毎日更新している人を尊敬します。。

会社を辞めてインドに行き、憧れの先生のヨガリトリート(リゾート地のような所でワークショップしたりのんびりする企画)に参加し、別れ際に先生と話しをしてハグしてもらい、とっても愛を感じた私は、いよいよその先生のいるカナダに行くことを決めました。

今思えば、なんですぐに行かなかったのだろうと思います。
受けたかったトレーニングもすぐ始まるところだったし。
そのタイミングで行っていたら、今出会っている本当に大切な友達たちに出会えていなかったので、人生ってよくできているな。。と改めてこれを書きながら思います。
(しつこいけれど、カナダに来て仲良くなっている人達は、現地の人も含めて、私と同じかそれ前後に私の先生のヨガスタジオに通い始めた人達が多い。不思議。)

カナダに行く前に、私の練習しているアシュタンガヨガの誕生の地であるマイソールに行こうと決めていました。これも今思えばなんでそう思ったのかよく分かりません。きっと、カナダで負けないようにインドの本拠地でヨガして来よう、後はそういうタイミングだったとしか思えない。。適当だけれど絶妙すぎる!

そしてオフィスワークに疲れ切っていた私は、とにかくインド代を稼ごうと、家から通えて毎朝ヨガの練習時間が取れて、かつ期間限定で頭を使わない仕事をしようと探していたら、以前もド短期でやったことのある工場バイトをすることに。
ここでは色々感じ学びました。
長年勤めているパートさんの技術の高さ、彼女達の生きる力、あ~女って強いしかわいい!と感じたと同時に、自分の持っているスキルは謙遜しないで使おう!と思いました。

イギリスにまで大学院留学したのに最低賃金でバイト?!
もうこの頃はプライドなんてどこへやら。とにかくインドに行くためならやる!という気持ちでした。振り返ってみると、けっこう情熱的な自分。。

1年に2度もインドに行くなんて、初めてインドに行った大学生の私では考えられなかったとおもいます。できればもう行きたくないインド。ヨガのために行きました。
最初の頃はひたすらホームシックでした。旅行好きなのにホームシックになるなんて、やっぱりインド合わないのかな。。としくしくしているのも束の間、ヨガの練習を通して、とっても素敵な友人ができ、毎日懲りずにヨガ話をしていました。貴重な時間でした。初めてのマイソールは、癒しと許しだったと思います。自分の中に閉じ込めていた、過去の辛い思い出がよみがえってきて、泣きました。浄化ってこういうことなんだ、とこの時思いました。今までもヨガを通して泣くことはあったけれど、今回は引き出されて、引き出してもらった感じでした。まさにそれが先生なのでしょう。。

しばらくアメブロは更新していませんでしたが、これからボチボチこちらにも記事を書いていこうと思います。

という訳で、堅苦しい敬語は終了~チョキ

UK留学後に勤めた会社では、イギリス人上司の秘書兼プロジェクトチームのアドミニを2年半ほど行いました。(敬語終了なのに敬語になっている叫び)
ここではまさかの偶然がありました。なんと上司の名前が、留学時代のフラットメイトの弟君と同じ!これには運命らしきものを感じました。その直感は当たっていて、忙しくストレスフルな中でも上司はとっても紳士的で、そして仕事も良く出来る方で(なぜか上から目線)、一緒に仕事をしていく上で、たくさんのことを学びました。

同時に、海外からの出張者の対応をする中で、あ~やっぱり海外ともっと関わっていきたい、という思いが強くなっていきました。
そんな中で起きた東北沖地震。これが自分のキャリアを考え直すキッカケにもなりました。
いつ何が起こるか分からないのだから、不平不満を持って我慢するよりも、勇気を出して飛び込んでみよう、飛び込みたい!と。30歳過ぎて痛い人のようですが、別にいいや!自分は結局自分にしかなれないし、という開き直りで?会社を退職しました。

この頃も、まだ海外の大学に戻る願望はありました。
相変わらず学ぶ内容が決められず、ただプライドが「PhD欲しい」「リサーチマスター欲しい」と思っていたようです。だって他に自分を誇れるものが無いと思っていたから。。

会社を辞めて向かったのは、なんとインド。
続けていたヨガを、憧れの先生の元でもう一度やりたかったから。
実は会社を辞めたのも、ヨガのためというか、ヨガをもっと学びたい、できれば海外で、
という気持ちが強かったから。
参加したヨガのリトリートでは、久しぶりの24時間英語環境(欧米人と過ごす24時間)に疲れてしまうものの、よし、今度は先生が普段教えているスタジオに行ってトレーニングも受けるぞ!そしてインドにもまた来るぞ!と決意したのでした。

長くなったので続く。。目

Master論文のLiterature Reviewをしている中で、この人の考え方・文章の書き方好きだな、と思う教授がいました。Masterと同じ大学でPhDを行うことも考えていたのですが、やはり3,4年の長丁場ともなると、それなりにしっかりとPhDを行う大学・学部のカリキュラム・教授・教授のリサーチ分野etcを調べなければ、と思い各大学のHPを比較していました。


相性というのはおもしろく、名がある大学でも、HPの学部・リサーチプログラム紹介を読むだけで、ちょっと違うな・・と感覚的に分かります。先に書いた、Literature Reviewの中で出会った教授率いる某大学は、実際私はあまり眼中になかった大学なのですが、HPを読むだけで引き込まれていきました。


アカデミック事情にそれほど詳しくないのですが、学部は学部長がメインとなる組織集団であり、それはMasterを行った大学で強く感じました。実際、Professor(Lecturerではなく、PhDを持ったDr.)の一声で、その年に開講するコースが決まったりしていました。なので、PhDを行う時は、Supervisorだけでなく、学部のお偉い方のリサーチ分野も自分の興味に合った大学がいいな、と思いました。


よって、今の第一希望は、その某大学なのですが、未だコンタクトを取っていません。。ガーン

それは、以前Master終了後、PhDとしてリサーチを続けたい、という旨をMasterを取った大学の学部Professor(修論のSupervisorではない)に話に行ったのですが、自分の準備不足で、どういう内容でやっていきたいか、具体的な構想をその場で英語で話せなく、非常に凹んだ経験があるため、First Contactがちょっと臆病になってしまっているからです。。


PhDに限らず、Master準備期間中も、色々な大学に問い合わせをしたのですが、その時も漠然と「留学したい」気持ちが強すぎて、教授に「どんなことに興味あって、何について研究したいのか=output」を聞かれると、しゅんとなってしまっていました。。


それを避けるために、今は本当にPhDを行いたいか(文系のため、必ずしも職につながるわけではないので、非常にリスキー)をはっきりさせるため、ある程度Research Proposalを書いて、そのために文献も読んでbibliographyを提示できるくらいまで自分で進めたいと思っています。


そして完成したものを、改めて希望大学に提出し、PhD candidateとして認めてもらえたらいいな、と思っています。第一希望大学に絞らず、完成したProposalを元に、少しでも自分の興味分野と合う大学・教授がいれば検討していきたいので、再度大学探しも行う予定です。


今年の夏に、Proposal(Draft)を完成させるべく、Reviewに取りかかっています。