軍拡しかないのか① ~あなたは人を殺せますか?~ | 吉沢一雄のブログ

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昨年、哲学エッセイ「人類永久幸福論」という本を出版しました。子どもの頃から、人類一人ひとりが幸せになることが夢であった私が、人類一人ひとりの幸せが永久に続くためには、人類社会や一人ひとりの考えや行動はどうしたらいいのかを考えてまとめたものです。

 最近の各国の軍事力拡大の流れに追随する日本の現状を考えた時、軍拡に突き進む前に考えることがあると思い、何回かに分けて私の考えを述べようと思う。第一回目として、自国の軍拡は他国の軍拡を誘発し、偶発的衝突のリスクも高まり戦争への危険は高まる中(軍事力強化が平和を維持するとの考えもあると思うがそれについては次回以降に述べる)、戦争を自分事として考える必要があるという意味で、「あなたは人を殺せますか」と問いかけてみたい。

 

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、日本人は久しぶりに戦争というものを現実問題として意識するようになったのではないだろうか。特に若い人たちにとっては初めての経験かもしれない。実際には、残念ながらいつの時代においても世界のどこかで戦争は行われていたが、今回の戦争は西洋社会における国家間の戦争であるため、多く報道された結果であろう。

 このウクライナの現状を知ることで、もし他国から日本が攻められたら、自分たちで守らなければと思った人もいるであろう。でもその時に実際に戦うのは自衛隊であって、自分ではないとどこかで思っていないだろうか。この戦争により、各欧米国家とそこと関係の深い国家では戦争による攻撃から自国を守るために軍事力強化が進められようとしている。アメリカと安全保障面で関係が深い日本も、当然のように軍事力強化を進めようとしている。

 しかし、軍事力強化は、装備だけではなく、ほとんど話題になってないようだが、当然人員の増強も必要となる。したがって、自衛隊の人員も増強が必要となる。今の自衛隊は応募制であるから、応募しない限りは入隊することもなく、自分が戦場に行くことはないと思っているかもしれない。しかし、もし応募で不足するようになれば、徴兵制などある意味強制的に入隊させられる制度も取らざるを得なくなるであろう。全員でなくとも、今の裁判員裁判の制度のようにくじ引きのような制度がとられるかもしれない。そうなれば、戦場に行くのはあなたかもしれない。一方で、軍事力強化を決める政治家は安全なところに居て、戦場に行くことはないであろう。軍事力強化とはこういうものであろう。他人事ではなく、自分事、当事者となるのである。

 

 では、あなたは戦場に行って、人を殺せますか?実際の戦争でも日常とあまりにかけ離れた殺人行為を行うことに躊躇して、敵をまともに狙えない人もいるという。もし殺せなければ殺されるのが戦争であろう。もちろん私も戦争に参加した経験はなく、本当の戦争の現場を知らない。でも、戦場に行けば人を殺さなければならない。無差別殺人犯と同じように、敵を同じ人間と思わず無差別に殺さなければならない。その人にも愛し愛される大切な人がいるであろうが殺さなければならない。そんなこと本当にできますか?

 また、戦争は国家を守るために自身の命を犠牲にしなければならない。国家のために死ねますか?もちろん、自分は死ねるという人もいるであろう。では、自分の愛する人や大切に思う人が、国家のために死ぬことを認められますか?自分のパートナー、子、親、親友、推しの人など。

 戦争は、多くのものを破壊する。家などの建物、大切にしているもの、思い出の品等、無差別に破壊していく。今まで築き上げてきたことやものも一瞬のうちに破壊される。その中には、命と同じくらい大切にしているものやこともあるだろう。親や大切な人からもらったもの、趣味などのグッズ、仕事や趣味のための道具など。それを国家のために失うことが許せますか?

 第二次世界大戦を加害者として、被害者として経験した人は、その苦しい経験から、絶対に戦争はしたくないと強く思っている。加害者として戦争に参加した人は、殺人などの自身の行為に強く後悔している。よく戦争から帰ってきた人が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむという事実がある。戦争で運良く生き残っても、その後の人生は一生苦しむことになるかもしれない。こうしたことに、あなたは耐えられますか?被害者として経験した人は、戦後も身体や心の傷に苦しんでいる。自分だけ生き残り、申し訳ないとの思いに苦しむ人もいる。このことにあなたは耐えられますか?

 

 ここに書いたことは、実体験のない私の想像の中のことであるが、戦争とは実際はもっと辛く厳しいものであると思う。国を守るためには軍事力強化が必要かもしれない。でも、ここでの私の問いかけに全てイエスと言えないなら、それが本当に正しい選択なのかを自分事として今一度考える必要があると思う。