江戸時代、
米は一升で百五十文、
酒が一升で二百文、
てんぷら蕎麦と床屋が三十二文で、
銭湯の料金が八文、
裏長屋の家賃が一ヶ月で六百文ぐらいだったようだが、
江戸時代は二百五十年も続いており、「文銭」と「両」の換金の下落と合わせ江戸末期ではかなりインフレになったようである。
当時の買い物の多くは、今で言う所のクレジット決済であり、
「判取帳(はんとりちょう)」や「通い帳(かよいちょう)」につけられた買い物の記録を元に米屋や酒屋、呉服屋などへ盆と暮れの年二回支払いに出向いていた。
「一文銭」は小額貨幣なので、一枚だけで使われることは少なく、かといって百文以上の支払いの場合には数えるのも面倒、そこで真ん中に空いた四角い穴(これはデザインというよりは製造工程上必要な穴だった)に細い紐を通し、端を縛った「緡(さし)」と呼ばれるものが使われた。
百文が基本の単位だが、江戸の風習では九十六文束ねた「緡」が「九六銭(くろくせん)」と呼ばれ百文として通用していた。
四文は値引きなのかと思いつつ、庶民が「緡」をもらうこともあるだろうと考えてみたが、
まあ、江戸時代はインフレで生活は大変そうだがそれでもお金の計算におおらかだったのは、
きっとお金以外のことを大切なことが沢山あったのだろうと勝手に解釈している。
参考 石川英輔「実見 江戸の暮らし」講談社文庫他
米は一升で百五十文、
酒が一升で二百文、
てんぷら蕎麦と床屋が三十二文で、
銭湯の料金が八文、
裏長屋の家賃が一ヶ月で六百文ぐらいだったようだが、
江戸時代は二百五十年も続いており、「文銭」と「両」の換金の下落と合わせ江戸末期ではかなりインフレになったようである。
当時の買い物の多くは、今で言う所のクレジット決済であり、
「判取帳(はんとりちょう)」や「通い帳(かよいちょう)」につけられた買い物の記録を元に米屋や酒屋、呉服屋などへ盆と暮れの年二回支払いに出向いていた。
「一文銭」は小額貨幣なので、一枚だけで使われることは少なく、かといって百文以上の支払いの場合には数えるのも面倒、そこで真ん中に空いた四角い穴(これはデザインというよりは製造工程上必要な穴だった)に細い紐を通し、端を縛った「緡(さし)」と呼ばれるものが使われた。
百文が基本の単位だが、江戸の風習では九十六文束ねた「緡」が「九六銭(くろくせん)」と呼ばれ百文として通用していた。
四文は値引きなのかと思いつつ、庶民が「緡」をもらうこともあるだろうと考えてみたが、
まあ、江戸時代はインフレで生活は大変そうだがそれでもお金の計算におおらかだったのは、
きっとお金以外のことを大切なことが沢山あったのだろうと勝手に解釈している。
参考 石川英輔「実見 江戸の暮らし」講談社文庫他