“そのうちに普請がはじまった。材木をひいてきた馬や牛が垣根につながれているのを伯母さんにおぶさってこわごわながら見にゆく。”

“普請場にはノミや、チョウナや、マサカリや、てんでんの音を立てて、さしも沈んだ病身ものの胸をときめかせる。職人たちのなかに定さんは気だてのやさしい人で、削りものをしているそばに立ってカンナのくぼみからくるくると巻き上がっては地に落ちる鉋屑に見とれているといつもきれいそうなものをよって拾ってくれた。杉や檜の血の出そうなのをしゃぶれば舌や頬がひきしめられるような味がする。”

中勘助「銀の匙」

中勘助は明治18年生まれの詩人で、この銀の匙がデビュー作である。病弱な幼少時代に叔母とすごした生活が素直な文章で綴られており、この中で家を建てる描写が出ています。

普請(ふしん)とは、広く平等に資金・労力・資金の提供を奉仕することであり、社会基盤を地域住民で作り維持していくことで住宅建築は明治時代迄は地域の公共工事であり、それを支えるのが地域扶助の精神、奉仕であった。この地域扶助の考え方は「結」あるいは「もやい」と呼ばれ、小さな集落で無償で手間と材料を出し住民総出で共同作業をおこなう相互扶助の精神で、現在も一部の地域では田植えや茅葺き屋根の葺き替えがおこなわれます。「結」の対義語とも言えるのは、「やとう(ふ)」という考え方で、家問うが原義と言われます。やとうとは頼むべき家々をまわって労力の提供を申し入れ、それによって助けられれば自分の家もそれに応じて返すことを前提とします。これは、現在の「雇う」という考え方になっています。

現在の日本の住宅は個性があり、機能的にも性能的にも世界に誇れる高い水準を持ったものだと思いますし、現代の生活様式は欧米化しています。それをあえて逆行させライフスタイルにマッチしない伝統的な古民家に住んで頂きたいとは思いませんが、先人たちの様々な知恵や工夫を学び、どのような思いで住宅を造ったかを理解することは大切だと思います。