建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇が作り出す深い廣い陰の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にただよう濃い闇である。

中略

左様にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明かりに曝すようにしていることは、外形を見ても頷かれる。日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。“
谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より

谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼讃」は昭和8年12月号と9年1月号「経済往来」に掲載されました。電灯がなかった時代を懐かしみ、電気の配線などをどう上手く隠して日本家屋と調和させることが難しいかと葛藤している様子が綴られています。谷崎潤一郎は西洋の住まいは可能な限り部屋を明るくし、陰翳を消す事に執着したが、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げ、それこそが日本古来の芸術の特徴だと主張し、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたっての陰翳の考察をしています。海外で日本の文化を学ぶ教科書としても注目されています。1998年長野冬季オリンピックの開会式を手がけた岡山出身のグラフィックデザイナーの原研哉氏も「デザインのデザイン」の著書の中でもこの随筆に触れています。

“もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間はもっとも濃い部分である。私は、数奇を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する…“
谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より

陰翳礼讃には日本の伝統的な住宅は大きな屋根が特徴でその下には暗闇が広がっているのが日本独特の美意識であり、金箔が施された屏風なども現代の照明の下で見れば派手でけばけばしく見えますが、当時の住宅ではほの暗い外部の光を反射するリフレクターの役割があり、陰影を作り出す空間こそが日本の美意識だと書かれています。