25年前の10月19日。
私は親としてデビューを果たしました。
結婚してすぐに婦人科系の疾患が見つかり、病院で「不妊症」と診断されました。
それから九州の有名な病院に新幹線で治療に通い、それでもうまくいかない日々の中、
何度、諦めたか。
何度、開き直ったか。
あまりに体調が悪くなり、夫と相談し
「今、生きている自分の命を大切にしよう」と決意して、
子宮摘出手術の意志を伝えに九州の病院に行ったその日に
私はお腹に赤ちゃんがいることを知らされ、
手術せず、寝たきりで妊娠期間8ヶ月を過ごすこととなりました。
入院中。
度重なる出血や数々のトラブルに見舞われ
何度、諦めたか。
何度、開き直ったか。
そのたびに私に未来を見せてくれたのは
1週間に1度行われるエコー検査。
画像の中の「その人」は
のんきに、私のお腹の中でぷかぷか浮かんでおりました。
時に、指をすったり
時に、背伸びをしたり。
私は、どうしても「その人」に逢いたくて逢いたくてしかたがなくなりました。
出血が重なり、体調も悪くなり
何度、夫に八つ当たりをしたか解りません。
何度、この苦しさから逃れるために、いっそ、寝たきりの状態をやめて
階段を上り下りしてやろうか。と投げやりになったか解りません。
それでも、
1週間に1度、私のお腹の中の「その人」の映像を見ると
そんな思いは吹き飛び、
私は「その人」に逢いたくて逢いたくてしかたがなくなりました。
予定日よりも早く、標準よりもずいぶん小さく
息子は姿を現してくれました。
平成3年10月19日。
私はやっと、恋いこがれていたその人が「息子」だとわかり
「あなただったのか。そうか、あなただったのか。」と
言いながら、壊れそうなその柔らかいその人をそっと抱きしめた覚えがあります。
それから、夫と決めたことはただひとつ。
「この子のために生きる」という思い違いだけはしないようにしよう。
ということでした。
息子は、こうして外の世界に出てきて、彼の人生を歩き始めている。
私たちは「親」という役割を果たしていこう。
息子の人生は息子のもの。
こんなに苦労して産んだ子だから、この子のために生きる。
なんて
自己満足はもってのほか。
私たちは、「親」として何が出来るか。
自分たちの親としての生き方を考えよう。と約束しました。
それから丁度今日で 25年。
息子は、一目惚れした素直で可愛い女の子と結婚をし、
自分の人生を楽しんでいます。
親としての私たちが、どうだったのか。
100点なのか、0点なのか。
答えはいつでるのか。
昨日、昔からのおつきあいがある同世代の経営者の方と
丁度、その話しをしました。
「子ども達が死ぬとき、俺の人生、幸せだったな。と思うかどうかで、
親である自分たちの子育ての点数って、付く気がするね。」
という結論になりました。
自分たちが生きているうちは、点数は出ない。ってことだねぇ。と。
山口きらら博が開催されていたときに
妊娠期間中のことや、産まれてからのことを
私が書いた子育てエッセイが
優秀賞をとり、冊子になっています。
今日、ひさしぶりにそれを読み返していたら、
逢いたくて逢いたくてしかたがなかった時の気持ちがよみがえってきました。
自分の誕生日よりも、わたしにとって
大切な誕生日です。
