先日、名優高倉健さんが亡くなりました。

私が映画について理解できるようになったころに
「幸せの黄色いハンカチ」が封切られ、
健さんの不器用ながらもあったかい雰囲気に何度も涙して見ました。
私にとっての高倉健さんは、ちょうど親世代ということもあり
父親と重ねあわせていたような気がします。

健さんが亡くなり、数々の追悼番組が放送されていますが
どなたもおっしゃるのは
大スター健さんではなく、人間健さんの大きな魅力です。
亡くなられてなお、直接触れ合った方の心に温かい想いを抱かせ
逢ったことのないファンたちをも魅了する高倉健さん。

健さんのニュースを見ていると
私の転機となった出来事を思い出しました。

私の父は、39歳という若さで病気で突然死しました。
お父さんっ子だった私は、当時10歳。
寝る前に必ず父のそばでテレビを見て、
父に「もう寝なさい」と言われて、しぶしぶ自分のふとんに入る。そんな毎日を送っていました。

その日もいつもどおり、「夜のヒットスタジオ」を父のそばで見て、おやすみなさい。と言って
寝ました。

でも朝、起きた時には、夜中に脳の血管が切れて、
こと切れた父の葬儀の準備が始まっていました。

よく、闘病記やドキュメンタリーで
「遺された子どもへの言葉」みたいなものを見ることがあります。
先日も、自分が亡くなった後、お嬢さんが困らないように味噌汁の作り方を
教えたというドラマがありました。

でも、私には何にもありません。

父もきっと40年経った今も、自分が死んだなんて思ってもいないかもしれません。

死ぬなんて思ってもいなかった父が、私にどんな風に生きて欲しいと思っていたかなんて
分からないし、手紙も・・40年前ですからビデオも何ひとつ残っていませんでした。

それから、私は一生懸命女手ひとつで育ててくれている母に
報いるためにも、頑張って生きていました。
生きてはいるけど、父が突然死んだ10歳から
いつも心にあるのは

「どうせ、死ぬんだから、何事もどうでもいい。」

という想いでした。

頑張ってはいるけど、「まぁ・・どうでもいいや」と思いながら
就職し、結婚し、子どもが産まれ・・・

長男が2歳くらいの頃、実家に帰省し、息子を抱っこして近所を散歩していた時のことです。

お逢いしたことのない、初老の男性から声をかけられました。

「あなたは、あそこの家のお嬢さんですか?」

「はい。そうです。」

すると、その男性は、満面の笑顔を私たちに向けておっしゃるのです。

「そうですか。
あなたのお父さんは、銀行に勤めていて、若くして亡くなられた、あの方ですよね。
実は、私はお父さんに仕事で大変お世話になったんです。
私の事業がうまくいかなくなって、お父さんに融資の事など相談をしていました。

あなたのお父さんは、本当に熱心で、お父さんのおかげでなんとか持ち直せたんですよ。
若いのに本当に親身になってくれて、恩を忘れられない。
そうですか。あなたが、あのお嬢さんですか。」

お逢いしたこともないのに、懐かしそうに私をみながらそうおっしゃいます。

「父をご存じなんですね。20年も前に亡くなったので、私はよく覚えていなんです。」

と言うと、その方は、続けて話してくださいました。

「相談があるというと、休みの日でも飛んできてくれました。
平日はそんなことしないんだけど、
休みの日に私服で飛んできてくれる時は、決まって、財布からあなたの写真を出しては
私にあなたの話をしてくれたんですよ。

『うちは息子ふたりと娘ひとり。特に娘は可愛いんです。
うちの嫁は、くりくりっとした、可愛い目をしているんだけど、
娘は、その嫁に似ずに、僕に似て、吊り目で、細い目でねぇ。
今は、不細工かもしれないけど、大人になったら、ぞくっとするような美人になると思うんです。』

と、にこにこしながら、話をしてくれました。

そうですか。あのお嬢さんが結婚して、お子さんもいるんですね。
彼が生きていたら、喜んだことでしょう。」

そんな話をして、その方は、海の道に向かって歩いていかれました。

その時、抱っこをしている息子を抱きしめながら
私の中で、変化がありました。

父のように、私もいつ何時、死ぬかもしれない。

だから、私は今までどうでもいいや。と思って生きてきた。

でも、死んだ後20年くらい経って
私と仕事上、もしくはふとしたことで縁のあった方が
この息子と出逢った時、

「温品さんの息子?声かける必要ないよね。」と思われるのか

「温品さんかぁ。なんかわからんけど、良い人やったよなぁ。
息子さんにそのこと、伝えたいな。」と思われるのか

私が息子に遺せるのは、どちらだろうと
真剣に考えた出来事でした。

それから、
父が亡くなってからずっと私の心を支配していた
「どうせ死ぬんだから、どうでもいいや。」という思いがすっと消えていくのを感じました。

「いつか死ぬのなら、死んで20年経ったころ、
なんか・・・もう一度逢いたいな。と思ってもらえる生き方をしたい。」
に変わったような気がします。

それが今できているかというと
分かりません。

でも、これからの日々、あの日、私の気持ちを変化させた
その後も一度もお会いできない方の言葉を胸に目の前にいる方に誠実に生きて行こうと思います。

具体的な言葉ではないけれど
父は、しっかりと私に遺してくれていました。

ビートたけしさん。
武田鉄也さん。
吉永小百合さん。

健さんのことを話す方々が
「健さんといるだけで幸せだった。」
とおっしゃるように。

私もそんな風にこれからも生きていたいな。