今年も近くの畑にコスモスが咲いています。
コスモスを見ると思い出すことがあります。
式典やイベントの仕事をし始めたばかりの頃(10年以上前ですが・・・)
大きな祝賀会の司会をすることになりました。
司会の依頼は、主催者から直接来る場合と
会場であるホテルから来る場合と二通りあります。
その時は、ホテルからの依頼でした。
最終打ち合わせで、特に注意して欲しいこと。と言われたのは、
主催者にとって、一番縁の深いゲストの方が、視覚障害をお持ちで、
その方に失礼が無いように。また、安全で安心な雰囲気を作ること。でした。
当日、その方のテーブルの場所を確認し、
お客様が入られてから、ご本人もしっかりと確認して
私の心の準備もばっちりでした。
祝賀会もつつがなく進み、最後のメインイベント。プレゼントコーナーの時間がきました。
受付で、参加者全員に番号カードを渡していて、主催者のかたが、当たりの番号を
カゴから引くという福引きです。
私は、主催者の方が当たり番号を発表したら、それを繰り返し言い、当たった方が
手を挙げてくださったら、ステージに誘導して、プレゼントを渡す係でした。
いよいよ、一等賞の発表。
「一等賞は、○番の方です。おめでとうございます!!」と私がいうと
手を挙げてくださったのは、
なんと、主催者が一番大切な縁があるとおっしゃっていた
視覚障害をお持ちの方でした。
私は、「すごい偶然だ!一番当たって欲しい方にあたるなんて、素晴らしい!」と
嬉しくなって、「一等は、○○様に当たりました。おめでとうございます!!」
と言いながら、ステージを降り、その方のテーブルに行きました。
そして、その方にだけ聞こえる声で、「腕を組んでも良いですか」と聞くと、にっこり笑ってくださったので、
腕を組んで、ステージに一緒にあがり、主催者からプレゼントを渡してもらい、
そのゲストのかたに、喜びのコメント頂いて、また、一緒にステージを降りて、テーブルにご案内しました。
そのあと、主催者の閉会挨拶があり、無事、祝賀会は終了しました。
主催者の方も全て帰られてから、
私は、ホテルの担当者から、それはそれはこっぴどく叱られました。
「なぜ、あのゲストをステージに上げたのか!
自分で、プレゼントを持っていけば良かったではないか。
もしくは、主催者の方にテーブルまで届けていただいたら、主催者の方のイメージアップにもなるし。
あれだけ、気を配って欲しいと言っていたのに、どうして危険なことを選択したのですか!!
もしも、何かあったらどうするつもりだったのですか!」
大きな声で言われ、自分の至らなさに情けなくて、ただ、申し訳ありませんでした。と
頭を下げて、ホテルをあとにしました。
家の近くまで帰ると、コスモスが風に揺れていて
その細い茎がゆらゆらしているのを見ると
地に足がついていない、自分のようで、また涙がでました。
帰宅してあまりに私が落ち込んでいるので、主人が、「どうしたん?」と聞いてくれて
ホテルの人に叱られたことをかいつまんで話をしました。
主人は、「まぁ、今度から気をつけるしかないじゃん。」と励ましてくれました。
数日後。
主人が帰るなり、通勤途中で聞いていたラジオの投書コーナーの内容を話してくれました。
それは、明らかに、あの日の私に起こった出来事でした。
主人も運転をしながら聞いたので、少し表現は違うかもしれませんが。
「私は視覚障害があります。
先日、お知り合いの集会に行ったとき福引きがあり、私の番号が1等だと司会の人が言いました。
とまどいながら、手を挙げると、
その司会の人は、自分のことのように嬉しそうな声で
「おめでとうございます。良かったですね。」と言いながら、
私の腕を取り、ステージに上げて、皆さんの前で賞品を渡してくれました。
それまでの私にとっての普通は、周りの皆さんが私のために動いてくれて
不便が無いようにしてくれることでした。
でも、その司会の人は、それが普通のように、他の健常者の方と同じように
私をステージに上げて、同じようにマイクを向けて、喜びの声を言わせました。
私はそれがとても嬉しかった。
その司会者の人は行動で「心のバリアフリー」を示してくれました。」
私がしたことが、正しかったのか、非常識だったのか。
それはわかりません。
でも、そのゲストの方が「いやでは無かった」ということだけは
確かなことで、とてもほっとしました。
そして、その時初めて聞いた「心のバリアフリー」という言葉は
忘れられない言葉となりました。
今年も同じ場所にコスモスが咲いています。
どんなに風が吹いても、折れずにゆらゆら揺れながら咲いています。
「こうでなければならない」
「こうしなければダメである」
という思いを人に押しつけることをせず
「その人」を「その人」として見つめる、心のバリアフリーの精神を持ち続けていたいと思います。
