下書きに保存していた記事をアップしていきたいと思います。今回は、父が亡くなった5月に書いた記事です。
今頃、三途の川あたりにいるであろう父は、
生前よく日記をつけていました。
10年くらい前の日記で、
私のことを「あげたら必ず返してくれる。あげたつもりだったから、貯金しておいてあげよう」と書かれていました。
あの時、車を新車で購入したくて、
親子ローンをお願いしたんです。
それでダブルワークして、
翌月から10万円ずつ返済したのかな。
でも確か、途中で
「もう返さなくていい」
と言われた記憶があります。
当時にはすでに父は入退院を繰り返していたので、
何かあった時のために、車の免許を持っていない両親を乗せられるように車を買いたかったんです。
でも貧乏すぎてローンを組みたくなかったのでキャッシュで払いました。
普通はお金がないからローンなのかもしれないけど、
私の金銭感覚だと、ローンによって発生する利息が無駄使いなんです。
それから、最近の日記だと、
私との出来事をよく書いてくれていました。
父とは日帰りでも旅行でもあちこち行きました。
このアメブロに書いたことも、つづってありました。
数年前に私の音楽サークルの発表会に招待した時の感想も書いてありました。
「ずいぶん賑やかな発表会だった」って笑
サザンとかワチャワチャした曲やったかな。
父のスマホをチェックした時、
その時の録画やピンぼけした写真が少しだけ残っていました笑
父自身、音楽が好きで、
よくYouTubeで「HeyJude」に合わせてハーモニカを吹いていました。
なので、私もベースを練習して、いつかセッションできたらいいなと思っていました。
実際に、かなり練習していて、
別の音楽イベントで演奏したりしていました♪
音楽サークルのグループラインで、
「父がデイサービスを利用することになった」と書いた時、
メンバーの一人が「施設を訪問してボランティアライブをしているが、お父さんの施設に演奏に行けないか」と提案してくれました。
実現はしなかったけれど。
父が亡くなった後、お寺さんと電話でやり取りした時に、
電話の保留音が「HeyJude」で泣きそうになりました。
それから、
震災の頃の日記とか読んでみたいな。
見つかるかな。
あの頃、精神的に病んで引きこもって音信不通にしてしまって、
退職したことを知らなかった両親が、
前の職場に行ってしまったことがあり、
危なく捜索願いを出されそうに
その後、その件については触れてくることはなかったけれど、
どう思っていたのか知りたいです。