日本 では古代から大正時代 に至るまで、お歯黒 と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。平安時代には男性もお歯黒をすることがあったが、江戸時代にはお歯黒は既婚女性の習慣となった。口紅は紅花 を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸京都 などの都会の女性に流行した。日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に水銀 を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による肌の変色(白粉焼け)が多くみられたといわれている。

男性も、公家古代 より白粉などで化粧をする習慣が存在し幕末 まで続いた。武家 もやはり公家に習い公の席では白粉を塗っていたが、江戸時代 中期には、化粧をして公の席へ出る習慣は廃れた。ただし、公家と応対することが多い高家 の人達は、公家と同様に幕末まで化粧をする習慣を保持していたほか、一般の上級武士も、主君と対面する際、くすんだ顔色を修整するために薄化粧をすることがあったという。

江戸時代に入り、上流階級だけではなく庶民も化粧をするようになり、世界で初めて庶民向けの化粧品店が開かれた。江戸時代の女性の化粧は、肌に塗るのは白粉のみで、これを濃淡をつけて塗ることで、質感の違いや顔の微妙な立体感を生み出した。水白粉や粉白粉を刷毛で肌に伸ばし、丹念に丸い刷毛ではたき込み、さらに余分の白粉は別の刷毛で拭って落とすという手間のかかるものであった。口紅は唇の中心につけるだけで、おちょぼ口に見せた。こうした化粧の伝統は、大正時代に至るまで根強く残った。結納 のすんだ女性にはお歯黒、子が生まれた女性には引眉 が行われる風習があった。和服はうなじ が広く出るので、襟元に白粉を塗ることも重視された。