前回書いたのが去年の12月21日。。。

いやほぼ1年ぶりだな。しかしこんなに野放しにしていたアカウントもなくならないんだな。
サイバーエージェントすごいな。いや昨今のIT技術の進歩が目覚ましいと言うべきか。

そんなこんなでなんでまたブログ書く気になったかはよく分からない。
でもなんとなく思い出を残したくなったからかな。

ってことで再開ついでにここ数年の激どうな人生について改めて振り返ってみる。

2007年6月現奥さんと出会う。
     9月現奥さんと暮らし始める。と思った矢先、大家が飛んだ。一緒にあちきの実家で暮らす
2008年2月入籍。はえっ。
     3月実家出る。耐えられなかった。。。
     7月結婚式
2009年1月奥さん妊娠発覚。これまたはえっ。
     7月勤めてた会社潰れる。
     8月会社作る。
     9月せいちゃん誕生
2010年9月マンション購入

おおっ。結構激動な人生だな。

会社も作って2年たった。なんとかやってこれてる。
前のブログみたら今年は社員ふやすぞとか書いてたけど
結局4人のままやってるな。

冷静に考えてみるとこのブログ新米ママ研究日誌だった。

奥さん、、、明後日行政書士の試験です。

子育てしながら家事しながらよく勉強したもんだと。
本格的に勉強始めたの6月に卒乳してからだから実質5カ月。

がんばってねぇ~。応援してるからねぇ~。

ってなわけで週末はせいちゃんと2人でずっと外出なパパです。



なんと。


前に書いたブログ5月だ。


7か月も書かなかったんだなぁ。


いや忙しかった。忙しいって言葉あんますきじゃないけどほんとに。血の出るほど。


気が付いたら年の瀬だ。



この数カ月の変化を綴っとこ。



家買った。中古のマンションだけど。


いやこれすごいことよ。だって会社立ち上げたのが去年だもん。ふつうローンの審査通んないでしょ。


でも通った。奇跡的に。理由はよくわからん。信念かすら。


で、東京では初めて23区以外に引っ越してみた。


当初通勤時間は長くなるわ、駅から遠いわ、田舎だわ、ネガティブに考えていたけど、意外に快適。


つーか住めば都とはよく言ったもので、たまに町に行くと人に酔う。マジで。新宿ですらハードル高い。




仕事も何とかなってる。


設立1年5カ月。設立4ヶ月でいきなり資金ショートの危機を迎えた会社は、今1千万の貯金ができるほどになった。


4人で何とかやってきたけど、もしかしたら来年は人増やすかも。


あ、なるほどブログ再開したっってことは少し余裕が出てきた気持ちの表れかもな




そしてせいちゃん。1歳になった。あたりまえだけど。


5月にはハイハイしてた我が子もすたすたと歩くまでに成長しました。

人間ってすごいな。

早く歩かないかなぁなんて思ってたけど、いざ歩き始めるとハイハイが懐かしいなぁ。

もうはいはいすることもないんだなぁ。そんな1歳2カ月。日々怪獣と化している我が子への愛情は日々強くなる。

比較の問題じゃないけども、日一日と強まってる気がするなぁ。


最近はなんと英会話にも通いだした。1歳児って英会話どころか日本語会話もままならないわけだけど、ま、幼稚園みたいなものですな。


週1回だけどとっても楽しく通ってるみたい。先生はカナダ人の女の人で。


今日はその英語のお教室のクリスマスパーティーだったそうな。いや楽しそうでなによりです。



とにかく一国一城の主になったわけだし、日々頑張っていこうと思いますのだ。

いやきょうはそのロケの打ち合わせだったとかで。

すごいすごい。どの番組かとかいえないけど。

とっても楽しみですだ。


さて。

久々に表現でもしてみるか。

袴田事件を題材にした映画をやるらしい。冤罪事件が注目されている昨今、またこの映画も物議をかもすことでしょう。

冤罪は起こる。それはなくならない。裁判官も警察官も、ましてや裁判員なんてみんな神ではない。事件をみたわけじゃない。

だからこそ物的証拠が要求されるし、疑わしきは被告人の利益になんて標語もあったりする。

でも冤罪は起こる。不幸な偶然が重なれば起こることは必然。確率の問題なのだ。だからこそ、その論理があるからこそ、死刑廃止論は一定の市民権を得る。

いま死刑廃止論なんてこれ見よがしに展開したところで変人扱いを受けるだろう。そのくらい凶悪犯罪が多すぎる。しかも秋葉原大量殺人のように現行犯で否認事件になりようがないものがある。

よく例に出される話だが、いま凶悪な犯罪が起こったとしよう。現行法の中で裁判をすれば確実に死刑になるような犯罪だったとする。そして10人が逮捕された。このうち1人はたまたま現場に居合わせただけで全くの無実。でもそれが誰だかわからない。

1人を犠牲にして10人全員を死刑にするか、はたまた、10人全員を無罪にするか。

社会全体の問題である。たった1人の尊い人間の命を救うために、9人の凶悪犯が世に放たれることを容認するかどうか。これを社会でどう受け止めていくか。


口蹄疫の報道を見ていてふと思った。

まだ口蹄疫に感染していない牛にワクチンを摂取させた上で殺処分にするという。

口蹄疫はウィルスであるので完全に殺処分にしたところで、地中や植物などに潜伏し、何年も生き延びる可能性がある。全頭処分したところで全く無意味である可能性が高い。でも疑わしきは殺処分。それが無駄だと分かっていても殺処分。

相手は牛や豚である。肉用であれば近い将来殺されるわけで、殺処分にしてしまっても何も問題が無いだろうというのが国の判断。


本日同僚とまたもや赤ちゃんの予防接種について議論になった。

効果が不明なものであるし、日本では10年患者が出ていないし、毎年予防接種の犠牲になって死ぬ赤ちゃんがいる。そんなものをあたりまえのように受けるのはいかがなものか。これをちゃんと説明してくれた人はいない。

同僚は言う。予防接種によって確かに患者は減った。統計が物語っていると。アフリカに行けば患者は沢山いるよ、受けたほうがいいよと。

本当にそうだろうか。その統計の信憑性はいかばかりか。昔と今では衛生状態も違う。医学も進歩している。予防接種をやらなかったら患者が減らなかったとなぜいえるのだろう。予防接種で菌を植込んでいるから絶滅しないのではないかという疑問に反論できるのだろうか。

こういうと同僚は黙ってしまった。人それぞれ考えがあるからといって。

悪魔のくじ引きである。毎年何人かの赤ちゃんが死ぬ。予防接種をやっているかぎり必ず死ぬ。

自分の子供が死ぬ番になったら、それでも予防接種を受けさせたことを後悔しないでいられるのだろうか。
自分が冤罪で死刑判決を受けたら。自分の飼っているペットが無条件に殺されたら。

当然反論も出来ることである。それが世論だし、だからこそ国家は死刑をなくさないし、殺処分し、予防接種するのだ。

これは社会全体の問題なのだ。目先の考えや世論にとらわれるのでなく、一歩惹いて斜めから物事を見たら全く違ったように見えてくる。

そのような人が増えて世論を形成することを願う。わが息子が生きていく世の中はそんな世の中であってほしい。