毎日暑い日が続きますが、早朝はやや過ごしやすくなりました、愛犬モジャ君も早朝散歩は元気に散歩してます、散歩後はモジャ君とシャワータイムとドライヤーで毛繕い、毎日2時間は消費しその後朝食を頂き1日の始まりです。暑い夏には食事後はミルクたっぷりのアイスコーヒーを頂く事は日課でもある。
先日千葉県地方は大雨のため筆者の住む白井市も道路も冠水被害の影響で車両は10台程水没し昨日も撤去作業をしていました。我が家は被害もなく災害を受けた方々は謹んでお悔やみ申し上げます。
洪水時筆者も車で出かけていましたが、所々で道路冠水しましたが遠回りをして無事帰宅しました、この地域は関東ローム層の上に位置してますが、大雨での冠水被害の影響には驚いた次第です。でも今回の鉄砲水は凄い体験をしました。
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻 BWV 846‐869
Bach, Johann Sebastian : Das wohltemperierte Clavier, 1 teil, 24 Praludien und Fugen BWV 846‐869
この曲は作曲は1720-22年、ケーテン時代に著名な音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハの長男であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハに音楽の手ほどきを始めた時代にあたる。フリーデマンの音楽帖にはすでに11のプレリュードの原曲が見られる。1722年に浄書された。18世紀には筆写譜を通じ広く伝えられ、モーツァルトやベートーヴェンもよく研究した。出版譜は1801年、19世紀の始まりを告げる年に、ドイツ語圏の3つの出版社から同時に刊行された。ライプツィヒのホーフマイスター・ウント・キューネル社(のちのペータース社)ではフォルケル、ボンのジムロック社ではシュヴェンケ、チューリヒのネーゲリ社はネーゲリ自らが校訂している。この出版がバッハ・ルネサンスの嚆矢となった(なお、フォルケルは出版上の手違いから第II巻を先に刊行した)。一般的には平均律とは、調律方法の一つである。曲の中で、つぎつぎと調性を変化させても、違和感なく美しく響いてくれる便利な調律の仕方だ。
バッハは1オクターブの12音を主音とする長調・短調、つまり24の調性を網羅した曲集を書こうと思った。全調がほどよくきれいに響く調律方法があるなら、ひとつのまとまった曲集を作ることが可能なのだ。ただし、バッハがこの曲集につけたドイツ語のタイトルを注意深く見てみると、Das Wohltemperirte Clavier、つまり「うまく調律されたクラヴィーア」としか言っていない。
「平均律」なんて書いていない。当時はまだ「平均律」が現在ほど一般的ではなかったようなのだが、少なくともバッハは「全調に対応できるように“うまく”調律された」鍵盤楽器を想定し演奏を試みたと思われる。この曲集が日本にもたらされた時、だれかが「だったら当然“平均律”でしょ」ということで、このように翻訳してしまったのであろう。というわけで、この曲集はそもそも、鍵盤楽器を学ぶ人の教育的な曲集として(だから日本でも、ピアノのを習っている人たちは「教材」として比較的早く出会うことになり、「平均律」という言葉を、この曲集を指して使うことが多い)、1722年に第1巻が、1742年頃に第2巻が完成された。1巻も2巻もそれぞれ、24の調性を網羅しており、一つの調性につき「前奏曲」と「フーガ」がセットになっている。だから、CDなどではそれぞれトラック分けされていると、1巻だけで、(前奏曲+フーガ)×24の調性で48トラック。それが2巻あるので、96トラックという、結構な聴き応えのあるアルバムになる。
ところで、音楽好きの方々は最初に「平均律クラヴィーア曲集」からバッハの音楽に入ったという人は、可成り少ないかもしれない。というのも、「平均律」という日本語タイトルにあるこの言葉が、なんとなく謎めいているというか、近づきがたい印象を持たれると言われる。特にバッハと聞けば一般的には教会音楽のオルガン曲、カンタータ等の宗教曲がイメージされなぜか敬遠される作曲家のイメージは強い。中でもクラヴィーア、すなわちクラヴィコードやチェンバロのような(ピアノが作られるよりも前の)鍵盤楽器のために作った作品は数々あるが、「イタリア協奏曲」や「フランス組曲」や「イギリス組曲」など、お国名を冠した何となく楽しい感じのする作品に比べたら、「平均律」と言われても、敬遠される如くという気持ちにはならないだろうか?
初めから「うまく調律されたクラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ言われたのが一般的に広まったのかもしれない。
音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人たちには、格別の時のすさびになるように。元アンハルト=ケーテン宮廷楽長兼室内楽団監督、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが起草、完成。1722年。18世紀前半にはまだ、現代的な意味での十二等分平均律(1オクターヴ12音の各周波数比を2の12乗根とする調律法) を実践できなかったが、少なくともバッハは「24の調がすべて綺麗に弾けるように自分の楽器を調律することを学んだ」(フォルケル)と言われている。この曲集が(インヴェンション)と同じく教程として編まれたことは間違いない。しかし同時に、全調を用いて音楽の世界を踏破するという大きな理念が込められていた。「世界」の普遍的な秩序を捉えること。
これは16-17世紀を通じて希求された究極の神学的課題である。「平均律クラヴィーア曲集」は、神の秩序をうつしとった、小さな完成された世界なのである言われる。
平均律とは、ピアノなどの楽器を調律する際に用いられる方法の一つで、全ての調で調和の取れた演奏を可能にします。これにより、バッハは転調を行っても和音が歪むことく、全ての調性で美しい音楽を創造することができました。この曲集が音楽家にとってのバイブルとされる理由は、その技術的な要求の高さと音楽的な深みにあります。
各曲はプレリュードとフーガの組み合わせで、演奏者には高度な技術と音楽的洞察が求められますが、バッハはこの作品を通じて音楽の数学的な構造と感情表現のバランスを見事に示すことができました。
24という数の選択は、音楽的にも数学的にも意味があり、バッハの作品における規則性と創造性の組み合わせを象徴しています。バッハがこの曲集で採用した平均律調律法は、以前のミーントーン調律法の限界を克服しました。ミーントーン調律では、純粋な三度の和音を享受できるものの、転調すると和音が歪んでしまうという問題がありました。平均律の導入により、バッハはどの調であっても、均等で調和の取れた演奏を実現することができたのです。
ここで、「調の性格」という概念について考えてみなければならない。バッハと同時代のハンブルクの音楽家マッテゾンは、各調がそれぞれ固有の絶対的な性格を表現する、という硬直した考えに再三の警告を放ったうえで、「荘重にして高貴」(ニ短調)、「洗練をきわめる」(ヘ長調)、「荒削りで頑固」(ハ長調)、「鋭く頑固」(ニ長調)などと性格付けを試みた。バッハも、こうしたそれぞれの調に対する一般的なイメージを顧み、さらに当時はほとんど馴染みのなかった――簡単に言えば調号の多い――調に初めて固有の性格を与えた(もっとも、原曲を移調して曲集に加えられたものもあり、マッテゾンの言うとおり、調の持つ表現の多様性を無視してはならない)。調性格論のさらなる展望を得るには、声楽曲を含めたバッハの創作全体を見渡す必要があるが、《平均律》第I巻では少なくとも、シャープ系は輝かしく、フラット系は柔和な傾向にある、ということができよう。
筆者は昔から音楽は好きでジャズ、バロック音楽を聴いているが、思えばいい音とは何であろうか、数値的な正しさだけでなく、聴き手が「心地よい」「感動する」と感じる主観的な気持ちよさと言われるが、人によって好みや基準が異なるためこれが正解と言われる言葉はない様であるが、音楽愛好家はその実にいい加減の言葉「いい音」を求め様よう様が良き刺激となる様である。
当時思った事は特にJ.S.バッハの音楽は古楽であり、基本的には当時の鍵盤楽器(チェンバロ・オルガン)で聴くことが正しいと思いピアノ演奏でのアルバムは敢えて聴かなかった。現在は使用ユニットは以前より欲しかった10吋同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold・上記がこのユニットの写真で勿論コイル部分がGoldです)を入手した一般的に言われるのはTANNOY IIILZのMonitor Gold以前からのユニットが所謂Vintageと言われる貴重品だそうです。今回仕入れたダンパー部分はクッションを改良し、コーンエッジ並びにスピーカーコーン紙の張りを戻すメンテナンスを試み随分音質は良くなった感じと実感する。後は配線のケーブルを交換した。
勿論スピーカーは昔からタンノイは好んで聴いたが購入時はIIILZ Monitor Goldのユニットは英国タンノイの工場が火災で入手はできなかった、ユニットも新しいタイプのHPD295タイプを挿入したTANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)を入手し聴いていたが音質がイメージとは違い当時尊敬した五味康祐氏などはタンノイはオリジナル箱で聴くのが一番とも言っている様でLUXMAN LX38とTANNOY IIILZの組み合わせは黄金の組み合わせとも言われたが実際に試しが、特にフルオーケストラの演奏は期待はずれでもあった。アンプを変えいろいろ試したが筆者がイメージした音とは違っていた。その為そのままで聴き続けたが最終的にはBBCモニターの違うFERROGRAPH S1と言うモニタースピーカーに浮気し聴いていたが、その後徐々に機材への興味は薄れてしまった。
60歳代過ぎてオーディオを再開し、機器も随分変化するうちに、10吋 IIILZをコーネッタなる箱に入れると素晴らしい音がするとの記事も読み、何とアメリカンタンノイなるものもある事を知る。構造はバックロードホーンでの箱であったが、筆者が知った情報はARU「アコースティック・レジスタンス・ユニット」(英グッドマンズ社などが開発したARUで、密閉型とバスレフ型の中間的な動作をさせます)を装備したGOODMAN AXIOM80の箱をお譲り頂き、IIILZのユニットを挿入し視聴すると、何故かピアノ演奏も実にグランドピアノらしい重厚な響きを再現することになる。
既に年金生活の貧困老人の筆者には法外な金銭も無く、出来るだけ自分で補修、改良を施し現在使用するアンプ300B(実際使用の球はZAIKA5300と言われる国産品)の三極管真空管は以下の様な解説もある、オーディオ研究の大先達「安斉勝太郎」さんの主催したオーディオ・ラボ「ZAIKA」が、数ある真空管の内、WE-300Bに性能が最も近いものを選び、エージングの後販売したのが、「ZAIKA 5300」真空管でした。新規に製作した真空管ではないのですが、幾つか異なる5300があるようですが、どれでもWE-300Bに差し替えて使用することができます。「ZAIKA 5300」は、ヒーター6V仕様の2A3、つまり 6A3から選ばれたようで、WE-300Bに比べればやや小型で、シングルでの8W出力は不可能ですがWE300Bと比べ音の遜色は無いように感じた。この様なZAIKA 5300の真空管とAXIOM80の箱も全面塗装を施し吸音材も日本製のゲンコツスピーカーで使用された吸音材に交換し、その為に命名したTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabineは如何にもグランドピアノらしい演奏を聴くの如く再現する様は見事でもある。色々考えもあるが悲しいかな取り敢えずは現在の機器には満足するしかあるまい。
バッハをピアノ演奏で聴き出したのが始まりである、特にベートーヴェン:ピアノ・ソナタ等も透明度が強く驚くほど良いプレゼンスを得思わず感激もしました。
当時筆者が聴き始めたはフランスのピアニスト、シャンタル・スティリアニ(Chantal Stigliani)によるJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集第1巻(BWV.846-869)』は、軽やかで自然なタッチと豊かな歌心、そして緻密なポリフォニーの美しさが調和した、聴き応えのある2CDアルバムです。
そして現在ではバッハ演奏のスペシャリストとして名声を確立したフランスの名女流ピアニスト、シャンタル・スティリアニ(Chantal Stigliani)が在る雑誌で「バッハ私の最愛の人です」と言っています。
「彼は私の最愛の人です!」ピアニストは満面の笑みを浮かべて告白する。「私が誰よりも愛する作曲家です。バッハは並外れていて、型破りです。だからこそ私は彼を愛しているのです。私が感嘆するのは、彼の作品のすべてが構成されている方法です。完璧です。人間的なレベルで、教育的なアプローチ、インスピレーションの点で。1685年に生まれた彼が、今もなおこれほど人気が あるのは偶然ではありません。私たちは彼の音楽をロックやジャズで演奏し、歌います…なぜかって?彼の音楽は大聖堂のようだからです。揺るぎない構造。付け加えるものも、取り除くものもありません。彼は道を示してくれる作曲家です」とシャンタル・スティリアーニは熱く語る。ブリーヴ出身の彼女は、自分のことよりもヨハン・セバスチャン・バッハについて何時間でも話せるだろう。しかし、「父はクラリネットを演奏していて、私はピアノで伴奏を始めました。父はジャズを演奏していて、即興演奏も少しありました。その後、当時ブリーヴ音楽院の院長だったルネ・アントルモンとその夫ジャンが、私を国立音楽院に紹介してくれました。私は11歳で学校を辞め、通信教育で勉強を続け、ピアノの練習に励みました」とシャンタル・スティリアーニは語る。
ブリーヴでの生活については、記憶はほとんどなく、ただ漠然とした感覚だけが残っている。「大変でした。とても孤独でした。それに、私は一人っ子でしかも15歳の時、彼女はパリ音楽院のオーディションを受けに行った。合格した彼女は、コレーズを離れて首都へ行かなければならなかった。1968年のことだった。「パリに行けて、地下鉄に乗れるなんて、すごくワクワクしました…そして何より、誰も私を見ていないような気がしました…」とシャンタル・スティリアーニは打ち明ける。「地方では、近所の人たちのそういう詮索が常にありました。多くの人が両親を反対しました。母には『娘を売春させている』と言った人もいました・・・。両親は素晴らしかった。「私たちはあなたを信じている』と言ってくれたんです」とアーティストは付け加える。シャンタル・スティリアーニは音楽院に入学し、授業に出席した。「母はハイレベルなアスリートで(モニークは1952年のヘルシンキオリンピックの最終候補に選ばれていた)、父(エルネストは1950年代半ばにCABの選手だった)と同じように、私に規律と組織を教えてくれました。」 「音楽院ではそういうことは学べません。大学ですから。何か課題を与えられ、どんな方法であれそれをやらなければならないんです。夜も、深夜も…。私は軍隊のような働き方に慣れていました。それがとても役に立ちました」と、その音楽家は説明する。
音楽院卒業後、シャンタル・スティリアーニのキャリアは順調に進みました。アジアやアメリカでのコンサート、レコーディング、受賞…しかし、その後、彼女の人生は転機を迎えます。「5歳の娘に全力を注ぐことにしたんです」と彼女は控えめに語ります。ピアニストとしてのキャリアは一時中断しましたが、音楽と芸術への愛情は衰えることはありませんでした。イヴォンヌ・ルフェビュールと同じように、彼女は自身の才能と人脈を活かして、特に若いアーティストを支援することを決意しました。彼女はマスタークラスを開催し、フィロミューズ協会を設立しました。「協会の20周年を祝ったばかりです。音楽、演劇、美術など、さまざまな分野で33人の若者のキャリアをスタートさせたことを誇りに思っています」とシャンタル・スティリアーニは満足そうに語ります。「15歳でパリに来た時に抱いていた燃えるような情熱とパフォーマンス文化、両親から教え込まれた価値観を、彼らと分かち合おうとしています。」どんな挫折があろうと、人生にどんなアクシデントがあろうと、私たちはまっすぐ前進し、歩み続ける。私は演奏したい、私はミュージシャンになりたい。これが彼女の音楽なんですね。
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 BWV.846-869(シャンタル・スティリアニ)
曲目:J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV.846-869
演奏:シャンタル・スティリアニ(ピアノ/スタインウェイ)
録音:2017年1月、2018年1月、パリ(フランス)
J.S.Bach: Das Wohltemperierte Klavier BWV.846-869
Chantal Stigliani
イヴォンヌ・ルフェビュールにピアノを学び、フランス音楽、そして現在ではバッハ演奏のスペシャリストとして名声を確立したフランスの名女流ピアニスト、シャンタル・スティリアニ。1975年にクロード・ドビュッシー国際コンクールで第1位を受賞し、フランス音楽に情熱を注いだ後、大バッハの作品の演奏に開眼!カリオペには既に「インヴェンションとシンフォニア」を録音しており、今回の「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は、その続編的な位置づけとなります。BWV.846~857ではスタインウェイのモデルDを、続くBWV.858~869では同社のモデルBを弾き分けるなど、そのこだわりはかなりのもの。軽やかなプレリュード(BWV.846)で幕を明けるスティリアニの「平均律」。約105分のバッハの平均律を楽しみます。
その後知ったのは、次に挙げるピアノ演奏家こそ素晴らしい演奏家でした。Dina Ugorskaja (ディーナ・ウゴルスカヤ)ロシアの女性ピアニスト。1973年8月26日生まれ。2019年9月17日没。
ロシアの名ピアニスト、アナトール・ウゴルスキの娘であり、自身も国際的なコンサート・ピアニストとして活動したディーナ・ウゴルスカヤ。2016年からはウィーン国立音楽演劇大学のピアノ科教授を務めながらも、癌との闘病の末、2019年9月に46歳の若さでこの世を去りました。ウゴルスカヤの追悼盤として、10年間に渡る充実のコラボレーションを築いてきたドイツのC'Avi-musicの録音の中から、ウゴルスカヤの代表的名盤となっていたJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」が新装再発売。
その深い感受性と冷静なパフォーマンスから、「ピアノの哲学者(philosopherat the piano)」として称賛されたウゴルスカヤの大いなる遺産。スタインウェイでたっぷりと歌うバッハの「聖典」にご注目ください。
発売日:2020年05月30日
《曲目》J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 BWV 846‐869
《演奏》ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
《録音》2015年4月&6月、バイエルン放送スタジオ2(ミュンヘン)
J.S.Bach: Das Wohltemperierte Klavier Vol.1
Dina Ugorskaja
レニングラード(当時のサンクトペテルブルク)に生まれ、音楽家の家庭で育った。父親は、著名なピアニストのアナトル・ウゴルスキー。1980年にレニングラード・フィルハーモニア・ホールで演奏し、7歳でデビューした。1980年から1990年にかけて、レニングラード音楽院の専門的な音楽アカデミーに通い、ピアノと作曲を学んだ。マリア・メクラーと父親、作曲はピアノ科を担当していたエフゲニー・イルシャイに師事していた。1989年、レニングラード・フィルハーモニア・ホールで弦楽四重奏曲を初演し、作曲家としてのデビューを果たす。1990年から1992年にかけて、アンネローゼ・シュミットとガリーナ・イワンゾワに師事。ベルリンのハンス・アイスラー大学に入学し、デトモルト音楽アカデミーに移り、再びガリーナ・イワンゾワに師事するとともに、ネリーヌ・バレットにも師事し、2001年には大学院レベルのコンサート試験("Konzertexamen")の学位に合格した。2002年から2007年までデトモルトでピアノを教え、准教授の職に就いていた。2007年から2008年にかけてはミュンヘンに拠点を移していたが、2016年10月、ウィーンの音楽・舞台芸術大学のルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン研究所のピアノとチェンバロの教授として招聘された。2019年9月17日にミュンヘンの自宅で、癌のために亡くなった。ドイツ、ロシア、フランス、オーストリア、ウクライナでコンサートを行い、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスのコンサートホールやシュヴェツィンゲン音楽祭で演奏したほか、「ヒッツァッカーの音楽の日」やディジョン音楽祭など、数多くの音楽祭に出演した。共演した指揮者には、ウラディーミル・ユロフスキ、ペーター・ギュルケ、フランク・ベアマンらがいる。また、ライプツィヒ放送交響楽団(MDR)や北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団(North West German Philharmonic Orchestra)と定期的に共演している。父親と組んで、バッハの2台のピアノのための協奏曲(協奏曲ハ短調BWV1060)、モーツァルトの協奏曲第10番変ホ長調、ショスタコーヴィチの2台のピアノのためのコンチェルティーノop.94などの録音をリリースしている。ヴラディスラフ・チャルネツキの指揮のもと、プフォルツハイムを拠点とする南西ドイツ室内管弦楽団とのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番の録音をリリースしている。
ディナ・ウゴルスカヤは、寡黙でありながらも深い情熱を持ち、真摯で物静かな話し方をする、夢見るような輝きを放つ音楽家です。彼女の内面に秘められた卓越した音楽的才能は、今となってはヘンデルの組曲、バッハの平均律クラヴィーア曲集、シューマン、ベートーヴェンの後期のソナタ、そしてシューベルトといった素晴らしい録音を通してのみ、私たちに残されています。彼女の最後の録音である、シューベルトの没年に作曲されたロ長調のソナタは、儚さと繊細さ、そして息を呑むような、揺らぎと揺れ動きを伴う幻想的な音楽への戸惑いを明らかにし、実存的な芸術性を残しています。
ドイツの女流ピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)が9月17日、がんで亡くなった。46歳だった。父親はピアニストのアナトール・ウゴルスキ。母親のマヤ・エリクはシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のソビエト初演で朗読を担当した音楽学者。
1973年、父親が活動していたソビエト時代のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)で生まれた。ウゴルスキは1982年から1990年までレニングラード音楽院の教授を務めた。
父親からピアノの手ほどきを受けた後、1980年からレニングラード音楽院に所属する特別音楽学校で学んだ。7歳でレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団フィルと共演して注目を集めた。
しかし、1980年後半からの体制改革運動「ペレストロイカ」の流れの中でソビエトでは反ユダヤ主義的な動きが表面化。脅威がウゴルスキと家族に及んできたことから、1990年に一家でドイツ・ベルリンに亡命した。
亡命後、ハンス・アイスラー音楽大学に進み、その後、デトモルト音楽大学へ。そのまま大学に残り、2002年から2007年まで講師を務めた。その後、ソロ活動のかたわら、2016/17シーズンからウィーン国立音楽演劇大学で、亡くなるまでピアノ科の教授を務めていた。
ディナ・ウゴルスカヤは、思慮深く繊細な解釈で国際的に知られる「ピアノの哲学者」としてしばしば称賛される。晩年、癌との闘病生活を送る中で、ウゴルスカヤは暗い雰囲気を漂わせ、その解釈は「恐ろしく美しく、胸を締め付けられ、時には不気味ですらある」ものとなった。癌との闘いは時間との戦いとなり、勝利よりも安堵が彼女を支配した。ウゴルスカヤは2019年、46歳で亡くなった。
ディナ・ウゴルスカヤ が最後にベートーヴェンのソナタを演奏したのは、2018年12月のミュンヘン公演だった。彼女は、長年感じてきた死への絶え間ない、肌で感じられるほどの近さ、そして自身の力、知恵、先見の明のすべてを演奏に注ぎ込んだ。まるで、音と人生への喜びを、一音一音に込めて表現しようとしているかのようだった。その夜、彼女の率直さに衝撃を受けた聴衆は、深く感動した。
最初のコンサート 十代の頃に初めてコンサートに出演したことがきっかけで、彼女は作曲をはじめとする様々な活動への意欲を掻き立てられた。そして1990年、反ユダヤ主義的な敵意のため、ウゴルスキー一家はレニングラードを離れ、ベルリンへ移住した。作家のイレーネ・ディシェは、父アナトールの新たな出発を支えた。避難所での難民生活から、コンサートの舞台へと。一方、ディナ・ウゴルスカヤはピアニストとしてのキャリアをスタートさせ、デトモルトで学び、デトモルトで教鞭を執り、やがてミュンヘンへと移った。
彼女は複雑な道を選んでいる。 彼女は室内楽のパートナーとして引っ張りだこで、ソロリサイタルも開催し、アルバムも録音している。バッハとベートーヴェンが彼女のお気に入りだ。彼女は何度も何度も後期のソナタや平均律クラヴィーア曲集を分析している。彼女は複雑なアプローチをとる。まず作品を理解し、深く掘り下げ、それから作品の感情のスペクトルに没頭するのだ。せっかちな性格は彼女の特徴ではない。彼女は思慮深く、慎重に、そして熟考しながらキャリアを積んでいる。彼女は常に音楽を綿密に吟味することに心を砕いており、まるで一音一音が光の当たり方によって全く異なる輝きを放つ立体彫刻であるかのように捉えている。
念ながら最近はよくあることだが、もし私たちが何でもかんでも急いでやってしまうとしたら、音楽にとって不利益になると思う。
名声や、驚きと熱狂に満ちた批評は比較的遅れて訪れた。まるで、リスナーもディナ・ウゴルスカヤの音楽が何をもたらすのか、つまり時代を超越した普遍性を理解するのに時間が必要だったかのようだった。そして、それこそが彼女を唯一無二の存在にしているのだ。彼女は技巧や、露骨な感傷、あるいはバターのように滑らかなタッチから戦車のように荒々しいタッチまで、驚くべき変化に富んだ演奏で聴衆を魅了するのではなく、その卓越した技術の上に時代を超越した魔法をまとわせ、真に魂に触れることができるからこそ、真に感動を与えることができるのだ。
曲目:ベートーヴェン:後期ピアノ・ソナタ集 Vol.2
ピアノ・ソナタ第27番ホ短調 Op.90
ピアノ・ソナタ第28番イ長調 Op.101
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 Op.109
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110
演奏:ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
録音:2013年4月&5月、バイエルン放送スタジオ2(ミュンヘン)
Beethoven: Piano Sonatas
Dina Ugorskaja
筆者の好きなベートーヴェンのソナタの場合、フィッシャーやシュナーベルもいるけれども、よく皆に聞かれているピアニストとしては何と言ってもウィルヘルム・バックハウスの演奏が定番である。1884年のドイツはライプツィヒ生まれで、ケンプよりも十歳近く年上のバルトークと同じ世代の人です。1969年に八十五歳で亡くなっています。ライプツィヒはドイツ一伝統のある音楽の都であり、彼はそのピアニズムの継承者だという意味で、よく「鍵盤の獅子王(Lion of the keyboard)」と呼ばれます。ライプツィヒ市の紋章がライオンだからです。
此処ではロシア出身のドイツのピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)によるベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ集第2巻(レーベル:CAvi-music)は、第27番、第28番、第30番、第31番の4曲を収録し、雄大で深い情熱に満ちた演奏を展開しています。
ロシア出身のドイツのピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)によるベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ集第2巻(レーベル:CAvi-music)は、第27番、第28番、第30番、第31番の4曲を収録し、雄大で深い情熱に満ちたアルバムの演奏を展開しています。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)のの後期ピアノ・ソナタ集は、全32曲のソナタのなかでも特に深い精神性と独自の音楽形式を備えた、第28番から第32番までの最高峰の作品群を指します。
Beethoven, Ludwig van : Sonate für Klavier Nr.30 E-Dur Op.109はベートーヴェン晩年の作曲技法的特徴として、対位法(フーガ)と変奏がしばしば指摘されるが、このOp.109以降においては、ロマン的で自由な楽想の中にあって圧縮されたソナタ形式、という特徴も指摘できよう。
1820年秋頃に完成したと推定されるこのソナタにおいては、第1楽章はストイックなまでに切り詰められ、それに対して変奏形式による第3楽章は大きな広がりをもっている。アリア風の主題と、旋律線から離れたいくつもの和声的、技巧的変奏、そして最後の主題回帰などは、バッハのゴルトベルク変奏曲を思い起こさずにはいられない。
ディアベリのワルツによる33の変奏曲(独: 33 Veränderungen über einen Walzer von Diabelli)Op.120、通称、ディアベリ変奏曲は、ドイツの作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲したピアノ独奏曲。1823年に完成された晩年の傑作である。ベートーヴェンの「不滅の恋人」とされるアントニー・ブレンターノに献呈された。
一度は着手しながらも、この当時作曲を中断していたディアベリ変奏曲との関連も見過ごすことはできまい。ベートーヴェンの最後のピアノ変奏曲であり、彼のこれまでの変奏技法が駆使された集大成である。
始まりは出版社ディアベッリの依頼でした。彼は当時の著名な作曲家たちに1曲ずつ変奏曲を書かせて集める企画を立てました。ベートーヴェンは最初、こんなつまらない主題は書かないと断りました。しかし、次第にこの平凡な主題の可能性に魅了され、単独で33曲もの変奏曲を作曲したそうである。
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集からも後世に伝える教科書で勿論ベートーヴェンも大いに影響を受けた様である。
ベートーヴェンの『ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 作品120』(通称:ディアベッリ変奏曲)は、1823年に完成されたベートーヴェンのピアノ独奏曲の最高傑作の一つです。平凡なワルツの主題から33もの壮大な変奏が生み出されており、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』と並ぶ変奏曲の金字塔とされています。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』と並び、音楽史におけるピアノ変奏曲の最高峰と評価されています。この度バッハからベートーヴェンに奥深く続く音楽を思い耽るのある。 ブラボー!











