1962年といえば64年前のことでもある。筆者の歳は78歳であるので14歳頃アメリカで発売されたオスカー・ピーターソン トリオのナイト・トレインアルバムの録音であったが、実際このアルバムを知ったのは22歳頃の事であった様に思う、実にピアノの音が明確で演奏が上手く初めて聴いて驚いた事は今も思い出します。

 

昔JAZZ音楽好きでラジオの進駐軍放送(AFRS/後のFEN、現在のAFN)は善く聴いた放送で、1945年9月の終戦直後から日本で開始された米軍関係者向けの英語ラジオ放送でJAZZ音楽も良く流していた。当時新しい音楽の発信地とも言えばスイングジャーナル誌とラジオ放送の進駐軍放送は手放せない唯一の情報源でもあった。日本が主権を回復した1952年に、FEN(Far East Network)へ変わったあとも、音楽ファンにはとても重宝された放送局でした。

 

ピーターソンを初めて聴いた時アート・テイタム(Art Tatum)に似てると思い、調べるとオスカー・ピーターソンはやはりアートテイタムに衝撃を受け、ブギウギピアノの名人ピート・ジョンソンにも夢中になったらしい。「ブギウギを弾く黒いリスト」だったのだ。その後、14歳でプロの楽団に入って瞬く間に頭角を現し、カナダジャズ界のトップスターとなるのでした。

今思えば1964年の東京オリピック前後から急激に日本は色々な意味で急に発展し変革していった様でもある。日本の人口率も多くなっていったのである。当時筆者が中学生時代は学年で1クラス55名で13クラス一学年で700名前後で全校生徒2,100名程のマンモス中学校時代で校舎も大変お粗末な懐かしい時代でもあった。

 

そして1949年あのノーマン・グランツとの有名な出会いがくる。所用でカナダに来ていたグランツが空港に向かう途中タクシーのラジオ放送でピーターソンの実況中継を聴きそのまま演奏していたホールに向かい契約を申し出る。そしてグランツはデビューをカーネギーホールで演奏させるという大ばくちに出て、大成功をおさめる。しかしノーマン・グランツという人、その行動力といい、企画力といい、やはり商売人としてたいしたものである。ピーターソンはグランツに誘われたが、いろいろ悩んだらしい。自分の腕がジャズの本場で通じるだろうかという不安はあっただろう。しかし、一番心配したのはカナダよりはるかにひどい「人種差別」であり、そしてアメリカのジャズ界に渦巻くドラッグ等の悪い習癖だろう。

 

 

オスカー・ピーターソン・トリオは、1950年代から長年にわたり、卓越したピアノ技法でジャズ界を牽引した名グループです。カナダ出身のピアニスト、オスカー・ピーターソンがレイ・ブラウンと出会い、ギターのバーニー・ケッセルやハーブ・エリスを加えたトリオ/カルテットで活動を開始した。調べてみればヴァーヴの前身、クレフでの1951年録音であり、題名は「Oscar Peterson Quartet, Vol.1」という素っけのないものであった。ギターはバーニー・ケッセル、ベースは当然レイ・ブラウンだが、このトリオにアルヴィン・ストーラーのドラムが付き、カルテットになっている。昔ジャズ界の大御所が「ピーターソンはギタートリオ時代が最高」と言っていた事を思い出した。その後入手したCDアルバムのシェークスピア・フェスティヴァルのオスカー・ピーターソン+21956年8月にカナダで開催された音楽祭にてライヴ録音された、オスカー・ピーターソン・トリオ(ハーブ・エリス、レイ・ブラウン)の傑作ライヴ盤で、ドラムレスの黄金トリオによる、卓越したスウィング感と熱気あふれる演奏で知られる名盤です。

 

その後特にレイ・ブラウン(b)とエド・シグペン(ds)を擁した1960年代初頭のメンバーは、極めて緻密でスウィング感溢れる演奏から「黄金のトリオ(The Trio)」と称され、数々の名盤を生み出しました。 エド・シグペンがドラムに加入し、レイ・ブラウンとの不動のトリオが完成。この時期、アルバム『Night Train』や『We Get Requests』などの名盤を発表したのである。ピーターソンという人、70年代においても「巨匠」であったが、その評価には微妙なところがあった。この時代から筆者が、JAZZ音楽から徐々に遠ざかる原因は当時はまだコルトレーンの影響が大きくマッコイ・タイナーやエルヴィンがバリバリに活動し、電化マイルスは未聴感溢れる前人未到の音楽を作り、クロスオーバー・フュージョンが商業的に大きな存在となりジャズ界を侵食していた。また世界的にも各地でアメリカンスタイルとは違うジャズを作るという「ジャズ独立運動」が起こり、ジャズの変革とも混迷とも言える時代であった。その中でピーターソンは早い話が「保守的」と思われていたのだ、彼には麻薬やアルコール禍といった悪い噂を聞いたこともなく正装でバリバリ演奏するピーターソンは、なんというか背伸びをしたがる子供にとって最初は接しやすいが、やがて健康すぎて物足りない感じであった。 方や演奏者が技を極めすぎ筆者はJAZZを一歩距離を置くという感じになってしまった。思うに50年〜60年台のJAZZ音楽は今聴くもワクワク感がありサウンドもなぜか懐かしいく聴いている事が現状である。

 

ピーターソンは1925年生まれでマイルスやコルトレーンより1歳上だが、カナダのジャズ社会の後進性を考えれば、感覚的には5歳以上の差があり、音楽的にも彼らのやっているジャズと自分のジャズは別物と思っていたのではないか。それにピーターソン自体、黒人よりむしろ白人と話をしたがりアメリカの黒人とは波長が合わないとういう事情があったようだ。居住地も生涯カナダであり、彼は自分が「黒人である」ことについて強烈な意識をもっていたことは間違いないが(大橋さんの「ナイトトレイン」を参照してほしい 、生涯カナダ人との意識を持っていたはずだ。ピーターソンの属したジャズ社会はいわば「ノーマン・グランツのジャズ社会」でかなり狭い特殊な世界だったと思う。

 

 

しかし筆者は思う、もしパーカーがこの世に存在しなければ、ジャズ界はピーターソン・スタイルのジャズ、つまりスウィング・スタイルにモダンな和声を混ぜ、技を競い合うような世界になっていたのではないかと思う次第である。勿論筆者は当時二十代前半での試聴はNight Trainの演奏より後の1964年にリリースされた生々しい臨場感we get requests をより親しんだ記憶がある。

 

音質的には実に全体の音が生々しく当時のオーディオ冊子でも取り上げられ話題を呼んだ記憶が残る、また当時話題のボッサ音楽も取り入れっれJAZZファンにも話題のアルバムでもあったようだ。

特にオーディオ愛好家の間ではピアノのヴィヴィッド感、ベースの締まった低音、ドラムのリアルな余韻が特徴勝り当時ジムランのLE8Tです視聴は驚き、6.You Look Good to Meの弓で弾くベースのブーミー音は再現できるスピカーは少なかったと記憶する。自宅の音の装置にチープ差があり哀れみを感じた。今思えば当たり前の事だが此の乾いたリアルはドラミングの音はジムラン独自の音でもこの様な音はアルテック、ジムラン以外のユニットには出せない音でもあった様である。

 

下記に挙げたyoutubeはライブ盤でレコードと違う表情も見えるお試しを・・・

 

 

しかし実際筆者の部屋で安定した鳴ったのは英国(TANNOY)の音が残り今に至るのである。いつの間にか現在の装置で聴く限りJAZZ音楽を聴くも特に不満なく聴けるようになったのである。

 

昔から好きなオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson, 1925年 - 2007年)は、カナダ出身のジャズ・ピアニストで、その卓越したテクニックと猛烈にスウィングするスタイルから「鍵盤の皇帝」や「ジャズの巨人」と称される、モダン・ジャズ界の歴史的なレジェンドでもある。

今改めてNight Trainを聴き当に此のアルバムこそは、名盤と感じることができたのだ。

 

 

Oscar Peterso「Night Train」1962年 オスカー・ピーターソン 「ナイト・トレイン」

Oscar Peterson(p)Ray Brown(b)Ed Thigpen(ds)59年以来不動のメンバーで62年12月にレコーディングされた天下一品の最高ユニット。11曲中6曲ブルースナンバーで構成。その中でもエリントン作品は4曲収録。

 

 

  1: ナイト・トレイン(Night Train)

  2: C・ジャム・ブルース(C Jam Blues)

  3: 我が心のジョージア(Georgia On My Mind)

  4: バグズ・グルーヴ(Bags Groove)

  5: モーテン・スウィング(Moten Swing)

  6: イージー・ダズ・イット(Easy Does It)

  7: ハニー・ドリッパー(Honey Dripper)

  8: シングズ・エイント・ホワット・ゼイ・ユースト・トゥ・ビー(Things Aint What They Used To Be

  9: アイ・ガット・イット・バッド(I Got It Bad And That Aint Good)

 10: バンド・コール(Band Call)

 11: 自由への賛歌(Hymn To Freedom)

 

 Oscar Peterson(p)オスカー・ピーターソン

 Ray Brown(b)レイ・ブラウン

 Ed Thigpen(ds)エド・シグペン

 

 Oscar Peterson "Night Train"【1962】

 

一般的には夜行列車で旅行している様な雰囲気のある曲でまとめられているようです。ジャケットもタイトルも楽曲も正に「ナイト・トレイン」という明快なテーマです。いわゆるコンセプト・アルバムというものでしょうか。ジャズの世界だとよくあることなのかも知れませんが、63年頃の発表ですからロックよりも随分進んでいたのでしょう。確かにブルーノートコードを持つ独自な音階の音楽は何度聴いても飽きることのない素晴らしい作品です。

 

 

グルーヴ感のあるゆったりした曲「Night Train」で始まり、筆者が好きな「C Jam Blues」がリズミカルに軽快に鳴り響き、さらにしっとりしたバラードの「Georgia on My Mind」が心に沁みます。ブルージーな「Bags' Groove」、リズミカルな「Moten Swing」と続きます。アルバム全体に感じることですが、特に「Easy Does It」は夜も更けてまったりした雰囲気や静寂を感じさせてくれます。十分にピーターソン節が堪能できます、LP盤だとここでA面が終了である。

 

 

B面の出だしは「Honey Dripper」再び小気味よい疾走感の小品が顔を出します。8曲目収録の"Things Ain't What They Used to Be"。やはりデューク・エリントンの曲。

 

そしてこの作品で最も重要な曲でもある・・・ついこの間コロナ禍の中でヒットし有名な曲になった・・・11.曲目収録のHymn to Freedom「自由への賛歌」(ヒム・トゥ・フリーダム)~58年前の作品が2020年に有効なメッセージを放つは、教会音楽のような厳かさとジャズの即興性を融合させ、公民権運動のアンセムとして愛された名曲です。

邦題「自由への賛歌」。オスカー自らが作曲したゴスペル調の曲です。静かに始まり、徐々に高揚していき、4分台で情熱的なプレイに。そして静かに曲は終了します。ピーターソンは公民権運動の高まりやキング牧師のスピーチに共鳴し、子供の頃にカナダ・モントリオールの黒人教会で聴いた賛美歌から着想を得た。

 

62年9月、「祈り(ジャズ讃歌)」(The Prayer,a Jazz Hymn)という題名での演奏は1999年リリースのCD『Verve Elite Edition Collectors' Disc』で遂に公開されたが、初めてレコード化されたのは3ヵ月後の、『ナイト・トレイン』に入っている再録テイクだった。後半、フォルテシモで思いっきり高まっていくところを、いかに雄大に再生していくかも、当アナログ盤鑑賞のひとつのポイントであろう。60年代のヴァーヴ・レコーズは“クリード・テイラーのプロデュース+ルディ・ヴァン・ゲルダーの録音”によるプロダクツが大半を占めるが、ピーターソンとエラ・フィッツジェラルドのそれに関しては例外で、引き続きヴァーヴの創設者であるノーマン・グランツが監修をつとめたそうだ。

 

 

今まで使用したユニットは長年愛用したHPD295ユニットから、やっと入手した銘機と言われる10吋同軸2ウェイのIIILZ Monitor Goldユニットを入手する、早速試聴するがブルース調のHymn to Freedomが抜群の心地よさである。むしろ此の曲を聴くのは英国調の音が勝るのではないかとも思う。いずれにせよパワーアンプの三極管300BとMonitor Goldユニットの組み合わせは実に品の良い音がする、特にピアノの音は格別である一般的に言われる(快速かつ正確なパッセージ、ブルージーな情感、そして安定したリズムが特徴で、聴く者に爽快感と喜びを与える「ピアノの皇帝」と称される音色)と言われるが力強さとスウィング感に満ちた華やかなサウンドは最高である。IIILZ Monitor Goldの特徴はやはり高音の美しさが優れている様に思うピアノの音は実に明確になり益々ピアノ演奏に嵌っていく様です。

 

オスカーはジャズのピアニストの中でも演奏技術が際立っていたといいます。いわゆるミスタッチも少なかったようです。かといって、音に感情がこもっていないわけではなく、感情を込め、ダイナミックな演奏を信条としていたようです。

そんな彼が、1962年(ケネディ暗殺の1年前)に発表したのが、『ナイトトレイン』というアルバムです。ラストに納められた「Hymn to Freedom(自由への賛歌)」という曲は、当時の人種問題への疑問を投げかけると同時に、怒りではなく優しさでこの問題と向き合っています。

 

 

オスカーはジャズのピアニストの中でも演奏技術が際立っていたといいます。いわゆるミスタッチも少なかったようです。かといって、音に感情がこもっていないわけではなく、感情を込め、ダイナミックな演奏を信条としていたようです。

そんな彼が、1962年(ケネディ暗殺の1年前)に発表したのが、『ナイトトレイン』というアルバムです。

 

ラストに納められた「Hymn to Freedom(自由への賛歌)」という曲は、当時の人種問題への疑問を投げかけると同時に、怒りではなく優しさでこの問題と向き合っています。そのための一つはこういった曲があることを忘れず、演奏を聴く事のようです。ブラボー!