2011/07/08
「その先を見る勇気はあるのか?」
季節外れの猛暑日
まだ梅雨入りもしていないのに汗が滲む
七分丈のTシャツから出た腕に
太陽の光が照りつけている
今年に入って数える程しかなかった2連休
ところが
不思議なことに
あれだけ望んでいた連休も
いざ迎えてみると
何をしようか迷っている自分がいる
毎日忙しく不規則な生活を送っているうちに
いつしか休み方を忘れてしまったようだ
それよりも深刻な問題といえば
ここ数年の月日の経過の早さだ
歳をとったとゆうほどの歳でもないが
1週間と1ヶ月が
尋常じゃない早さで過ぎていく
今日が5月の20日だと言われても
2010年なのか2011年なのか一瞬考えてしまう
そうか今年は2011年だったか
そーいえば去年の今ごろは何をしていたか
そんなことを考える癖がついてしまった
明日何が変わるかなんて分からないのに
1年後なんてわかるはずもない
しかしこの1年で何が変わったのか
自分自身の心境の変化に気付くことは容易い
あの時許せなかったことが今ではなんとも感じないこともある
逆になんとも思わなかったはずなのに
今では考えるだけで胸が張り裂けそうになったりもする
人の脳みそなんてほんと単純で明快で複雑だ
そこに銃が置いてあったら何も考えずに天に向かって撃ち抜くこともできる
創世記
「初めに
神は天地を創造された
地は混沌であって
闇が深淵の面にあり
神の霊が水の面を動いていた
神は言われた
「光あれ」
こうして光があった。
神は光を見て良しとされた
神は光と闇を分け
光を昼と呼び
闇を夜と呼ばれた
夕べがあり
朝があった
第一の日である」
人類が築いたこの歴史は
宇宙や地球のそれに比べれば
瞬きに過ぎない
この一文は
ある物理の教科書の冒頭に記してある
「一見複雑そうに見える
この地球上で起こる自然の営み
これらは全て
実はある一定の法則に従って起きている」
陽は沈み
雨は上がる
この世に永遠は存在しないのだ
そして
刻々と刻まれる時の流れは
人を変化させる
人は老いて
魂までも変化する
かつて独裁者は
人々の魂を欺き
永遠の存在を約束した
やがて彼らは全てを手に入れると
神になろうとした
神格化だ
しかし神はこの世に存在するものではないし
存在してはいけなかった
歴史上神格化は
悲劇しか生んでいない
信長に太平洋戦争に
「常に流れている水は腐らない」
この世は常に循環している
血となり肉となり土に帰るまで
人間は大地の一部に過ぎないのだから
人は常に帰路をさがして生きている
やがて人はたどり着く
帰る場所がなければ生きていけない
「いつもで帰りを待っている」
その事実は俺を支えている
「天地万物は完成された」
10年前の俺よ
10年後の俺よ
お前は
幸せ者だ
道路標識
俺が初めて覚えた交通ルールは
追い越し禁止のオレンジの車線だった
免許も知らない幼稚園児の俺が
初めて覚えた交通ルール
小さい頃の記憶は
ぼんやりとしか覚えていないけど
あの時の記憶は
未だに
はっきり覚えている
不思議なくらい鮮明に残った記憶
それは
じいちゃん家のある福島に帰省したとき
福島の田舎道で
真っ直ぐに伸びた
交通量の少ない道路
うちの親父は
当時車の運転が荒かったのを覚えている
高速ではスピードも出すし
他の車によく文句を言っていた
その時は前を走る車がノロノロ運転で
いつもの荒い運転で
前の車を追い越した
そんなことはよくある事だったけど
その日は
追い越したと同時に
覆面パトカーのサイレンが鳴り響いた
何が起きたか分からず
路肩に駐車する車内で
俺は怯えていた
そして
初めて見た光景
親父の怯えた姿に
恐怖を感じていた
その時俺は
このまま親父が警察に捕まって帰ってこないものだと思っていた
もちろん
追い越し車線を違反しただけでは逮捕されるわけもなく
せいぜい違反切符と罰金
当然幼い俺はそんなことは知らない
ただ目の前の光景が
親父がパトカーの後部座席に肩を落として座ってる姿が
信じられなくて
親父を失うのが怖くて
親父を失うのが嫌で嫌でどうしようもなくて
ただ泣いていた
きっとあんなに大声で泣くことは
20年以上だった今も
これから先も
ないと思う
文句を言いながら親父が戻ってきたとき
安堵でまた泣いた
そして無意識に
一つの交通ルールを
一生忘れない交通ルールを覚えた
オレンジ色の車線
俺はこの先一生
どんなに急いでても
オレンジ色の車線で
前の車を追い越すことはないだろう
あれから親父は
前の車を追い越すことはなくなった
泣きじゃくる俺を見て
親父の目が赤くなっているのを俺は見た
今思うと
泣いてる親父を見たのはあの時だけだ
俺はふと考える時がある
俺がこの先
両親と過ごせる時間は
あとどれくらいなんだろう
俺がこの先
両親と会話する時間は
あとどれくらい残されているのだろうと
きっと
俺は
両親を失った時に
「最後だと分かっていたなら」と
後悔すると思うから
だったら
そうなることを分かっているなら
残りの時間を
1分でも1秒でも長く
一緒に過ごそうと思う
俺が両親と初めて会った時
俺はきっと泣いていたから
俺が最後を見届ける時は
俺は
笑っていたいと思うから
俺が両親にこんな事を言うのもおかしいけど
俺がこんな風に考えることができてる時点で
断言できるよ
あなた達は
最高の父親と母親だと
俺は間違いなく
世界一幸せな両親の元に生まれることができたんだと
追い越し禁止のオレンジの車線だった
免許も知らない幼稚園児の俺が
初めて覚えた交通ルール
小さい頃の記憶は
ぼんやりとしか覚えていないけど
あの時の記憶は
未だに
はっきり覚えている
不思議なくらい鮮明に残った記憶
それは
じいちゃん家のある福島に帰省したとき
福島の田舎道で
真っ直ぐに伸びた
交通量の少ない道路
うちの親父は
当時車の運転が荒かったのを覚えている
高速ではスピードも出すし
他の車によく文句を言っていた
その時は前を走る車がノロノロ運転で
いつもの荒い運転で
前の車を追い越した
そんなことはよくある事だったけど
その日は
追い越したと同時に
覆面パトカーのサイレンが鳴り響いた
何が起きたか分からず
路肩に駐車する車内で
俺は怯えていた
そして
初めて見た光景
親父の怯えた姿に
恐怖を感じていた
その時俺は
このまま親父が警察に捕まって帰ってこないものだと思っていた
もちろん
追い越し車線を違反しただけでは逮捕されるわけもなく
せいぜい違反切符と罰金
当然幼い俺はそんなことは知らない
ただ目の前の光景が
親父がパトカーの後部座席に肩を落として座ってる姿が
信じられなくて
親父を失うのが怖くて
親父を失うのが嫌で嫌でどうしようもなくて
ただ泣いていた
きっとあんなに大声で泣くことは
20年以上だった今も
これから先も
ないと思う
文句を言いながら親父が戻ってきたとき
安堵でまた泣いた
そして無意識に
一つの交通ルールを
一生忘れない交通ルールを覚えた
オレンジ色の車線
俺はこの先一生
どんなに急いでても
オレンジ色の車線で
前の車を追い越すことはないだろう
あれから親父は
前の車を追い越すことはなくなった
泣きじゃくる俺を見て
親父の目が赤くなっているのを俺は見た
今思うと
泣いてる親父を見たのはあの時だけだ
俺はふと考える時がある
俺がこの先
両親と過ごせる時間は
あとどれくらいなんだろう
俺がこの先
両親と会話する時間は
あとどれくらい残されているのだろうと
きっと
俺は
両親を失った時に
「最後だと分かっていたなら」と
後悔すると思うから
だったら
そうなることを分かっているなら
残りの時間を
1分でも1秒でも長く
一緒に過ごそうと思う
俺が両親と初めて会った時
俺はきっと泣いていたから
俺が最後を見届ける時は
俺は
笑っていたいと思うから
俺が両親にこんな事を言うのもおかしいけど
俺がこんな風に考えることができてる時点で
断言できるよ
あなた達は
最高の父親と母親だと
俺は間違いなく
世界一幸せな両親の元に生まれることができたんだと
