前回の記事に書きましたが、
今週の月曜日、
卒業証書を担任の先生から受け取り、
長男が無事、
小学校を卒業しました🌸✨
そして最後は、6年生の先生方全員で、
見送ってくださいました✨
上記の記事の通り、
本番の卒業式に出られなかったことに、
初めは後悔していましたが、
個人的に見送ってくださったことで、
より思い出に残る出来事となりました✨
めでたし、めでたし👏
....と、終わるかと思いきや、
その後、心の中にモヤモヤが
存在していることに気づき、
そのことを見ていったところ、
私の中で、
ある先生に、勝手な期待を
持っていたことに気づきました😂
5年生の時の担任の先生が、
長男にものすごい寄り添ってくれて、
かなりお世話になっていたし、
6年生になっても、
気にかけてくださっていたので、
卒業証書の受け取りの日も、
きっと個人的に
声をかけてくれるし、
なんならハグしてくれる勢いで
来てくれるはず😁
と、勝手なシナリオを
頭の中で作り上げていました。
ところが蓋を開けてみたら、
その先生は、
長男のところに寄ってくることもなく、
個人的に声をかけてくれることが
ありませんでした。
そのことに対しての
がっかり感がものすごく大きかった💦
でもそれは、
私の勝手な妄想劇場😂
さっきも書いたように、
私の頭の中では、
かなりしっかりとしたシナリオが
出来上がっていて、
それの通りに進むはず!
と、疑ってもいなかったのです。
勝手に妄想して、
勝手にがっかりして、
その先生が「してくれなかった」って
加害者にしてしまう...
これが、
他人へ期待した結果です😂
このことに対して、
あることを思い出したのです。
それが
エイブラハムの「節目ごとの意図確認」。
この本に詳しく書いてあります↓↓
今やっている行動から、
次の行動に移る時に、
その行動を
どんな気分を感じたいのか?を
意図する(設定する)こと。
現象は二の次で、
気分、感覚を意図するということ。
私がこの場合でするべきだったのは、
先生がどういう行動をするかを
意図するのではなく、
(それ、コントロールだから!笑)
先生方に見送ってもらう場面で、
私がどんな気分、感情、感覚に
なっていたいのか?
↑↑
ここだけにフォーカス!!!
その先生にその行動を期待していたのは、
私が何かしら感じたい気分があったから。
最終的には、
そこに行き着くのです。
だから言ってしまえば、
先生がどんな行動をしようとも、
私が感じたい気分、感覚が
その時に感じられたら、
それでもう満足なはずなのです。
だけど私は、
先生が私の期待通りに
行動することにばかりフォーカスしていて、
その時に感じる感情、感覚には
フォーカスしていませんでした😂
もう一度言うけど、
起きる現象は二の次!
まずは感じたい感情、感覚を
身体全体で感じて、
その上で、
「こうなったらいいなぁ」って現象をイメージして、
気分が上がるのならやればいい。
でもそれは二の次! ←しつこい。笑
その場面が来る前に、
自分の身体で感じてセットできてるから、
それだけでもう満足できているけど、
もしそのイメージ通りのことが起きたのなら、
それはもう
「おまけ」みたいなものですよね。
シナリオを作るのは、
現象に執着するためではなく、
自分の気分を上げるためのもの💕
もう終わってしまった出来事ですが、
そこまで自分で順を追っていったら、
先生に対してのモヤモヤは
すっかりなくなり、
あの空間、
先生方の送り出しくださる気持ちに
自然と感謝が湧いてきました😭✨
モヤモヤしていた時には、
辿り着けなかった、
愛の視点、ソースの視点です✨
殴り書きのノートですが。笑
私が期待通りの行動を、
先生がしてくれたら「良い」けど、
してくれなかったら「イヤ(悪い)」になる、
この二元の視点ではなく、
それをまるっと飲み込んだ、
どちらの現象になっても、
私は私だけで勝手に気分良く在る、
というのが、
愛の視点、ソースの視点👁✨
ちなみに余談ですが...
ここまでの過程を、
私はいつも、
ノートを書くことで辿り着きます。
この視点で物事を捉えるためです✨
最近は、
インスタのライブ配信で
いろんなことを話しているのですが、
今回ちょっとしたアイデアが湧いたので
今度、ノートのことを話してみようと
思っています✨
今までもずっと
話したいと思っていましたが、
ライブ配信をしていると、
次々にアイデアが湧いてきて、
ようやくタイミングが来たようです✨
ぐっちゃん♪
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