越えられない時間の向こう側


この世に絶望して、生きることを放棄したくなったら



   自殺者数が増えていますね。

自殺をされる方は多かれ少なかれ

無念(悔しい)

という念を残して亡くなられる事がほとんどです。


誰にも迷惑をかけたくないから、

死なせて下さい・・・。


なんてことは思っていても絶対に叶いませんよ。


美しい自殺なんて存在しないからです。


自殺も殺人です。

それは自分への最後の抵抗で、最も危険な行為。


自殺は、残された家族や親友、近隣に住む知人。ありとあらゆる方々の記憶に、念として深く刻み込まれます。死んだ人ではなく、

生きている人が背負う十字架。


死んだ人には当然罪の意識はないと思います。だけど死んでも誰も救えない。自分はもちろん。輪廻を絶ちきれば、自分も先祖の歴史もそこで止まってしまう。

過去の自分も未来の自分も消えてなくなる。与えられた命って、本当は自分だけの命ではないんです。


生きている、それは意識せずとも、自分と輪廻で繋がる、または繋がった、たくさんの命を守っていることになる。


あなたは、目の前で誰かが死ぬのを見たいですか?

事件や事故で亡くなった人をニュースで見て心痛みませんか? 

特に幼い子供が巻き込まれるのはとても胸が痛みますよね。


すべての命は繋がっていますから。

あなたを知る人の魂も一緒に傷つけてしまいます。


何らかの理由があり、今とても辛い状況である、または追い込まれた状態であるなら、せめて声を上げて下さい。誰かに話してみて下さい。


組織や集団に立ち向かえず、遺書を書き残して亡くなる方も大勢います。遺書を残す以上は伝えたいことがあるという事。

でも知っていますか?

その遺書、第一発見者により破棄されたり、隠蔽されたりして、最悪は、遺族の元に届かず、無かったことになる場合もあるんですよ。


だったら生きてその声を誰かに聞かせて。

生きている以上は道は開かれているんです。


  そんな私も10歳で死のうとしたことがあります。

今の冗談ばっかり言って

ふざけてる感じからは想像できないかも知れませんが、本当なんですよ。多感な時って色んな事が死を意識させますよね。


正義って何❓

大人ってみんな嘘つき❗


私は養母に育てられ

毎日、事実とは違う実母の悪口を聞かされて育ちました。


養母と実母は姉妹でした。


母(妹)は子供っぽい性格でわがままな人でしたが、行動力があり、十代で九州から大阪へ、結婚後は経済的にも豊かでした。姉夫婦も都会へ出てくるよう促したのも母でした。


  そんな母は子供が欲しいのになかなかできず、30歳過ぎた頃、自分の姉の所に生まれた三人目を生まれてすぐ養女に貰うことに、それが私です。

どうやら二才までは私も溺愛されて育っていたようです。


 ところがよくある話で、貰われて二年後に母が妊娠、そうなると大事をとって、私は一時、近所のお寺へ預けられます。


無事出産を終えた母は少しずつ私に対する態度を変えていきます。


その時は、母が私に厳しくなったのは、純粋にお姉ちゃんになったのだから当たり前なんだと思い込んでいました。


でも、ルールを守らない妹への叱り方と私への理不尽な叱り方の違いを見て、納得がいかず、

これは子供なりにおかしいな?

と思うことは多々ありました。

 

しかし反発すると押し入れに入れられたり、冬の寒い日にベランダに放り出されたり、竹の定規で叩かれたり、髪の毛をつかんでそのまま引きずられたり・・・。何度、逃げ出して隣の家のインターホンを押そうとしたかわかりません。


アザができても、自分で転んだと言いなさい。(嘘ついちゃダメって言いながら矛盾ばっかり😢)

怒られるのはあなたが悪いからだから。そんな風に言われて、それは違うと思いながらも、

大人の力に勝てる訳もなく、意味の無い「ごめんなさい」を毎日言わされていたんです。

なんで私、謝ってるの?

これは何のごめんなさいなの?

あーそうか、生まれてきてごめんなさいなんだ・・・。

子供の頭はシンプルにこうなる。


まぁ、昔はこんな事は特別なことじゃなかったみたいですが、その時私には、親がめちゃくちゃ怖かった・・・・。

何も悪いことしてないのに。

今なら絶対に虐待だって言われてもおかしくないよね💦


思えば、貧困で苦しい訳でもなく、世の中にはもっと辛い状態もあるから、私はただひねくれてたんだろうか・・・💦それでも毎日、存在を否定され続け、頭がおかしくなりそうだったんだよね。


    母の機嫌が悪いだけで、私は叱られる。母はストレスを感じたり腹が立つとそれを瞬間的に私にぶつけるんだから、逃げ場もない。


実母と顔が似てるとか、動きがトロいとか、姿勢が悪いとか、私が痩せていると何も食べさせてないと思われるとか、突然、唐突に怒りだす。

母が手を顔より上にあげると、反射的に私は自分の頭を手で防御する状態にまでなっていた。


怖くて外に飛び出そうとした事もあったけど、捕まってその服は私が買ってあげたんだからと全部脱がされ、真っ裸にされた状態で玄関の外に放り出された。


ホントに狂ってると思ったけど、そんな事誰も信じてくれないだろうし、恥ずかしくて言えない。


何故?愛されてないの?嫌い?


私は母がこんなに大好きなのに・・


「これは母が言うように、私は実母に捨てられるほど価値のない命だから仕方ないんだ💧」


神様なんて絶対にいないな💦

世の中は不平等、

なんで生まれてきたんだろう。

このまま大人になっても自由はなく、この家から逃げられないのかしら。


小学校にいる時間は友達と過ごせて楽しがったけれど、家に帰るのが本当に辛かった。


学校から帰るとすぐに外へ遊びに行って、日が暮れるまでは帰らない。できるだけギリギリまで遊ぶ。


   その頃になると、まだ付き合いもあった母姉妹の関係も相当悪いものだったようで全く疎遠になっていました。

当時は父と母の喧嘩も激しく、それは毎日のように続き、家の中はガラスの破片が当たり前のように落ちていました。

それを拾って片付けるのが私には日常だったし、そのうち、夫婦喧嘩がはじまると、玄関の鍵を開け(何かあったらすぐに逃げられるように)、

灰皿や、刃物など危険物を見えない場所に隠しまくってたな私。(笑)

何故って?

そのいずれかが、

私めがけて飛んでくるからなの。

悲鳴や絶叫で警察が来ることもあったんだけど、夫婦喧嘩という事で簡単に帰ってしまう。

おまわりさん。お願いだからもう少し居て・・・そんなこと言ったりもしたなぁ。


喧嘩の原因はよくわからなかったのですが、必ず最後は父が母に私を養女にしたことを責めていたようでした。

実際、仲が悪くなった姉の娘なのですから。全くの大人の事情です。

私にはわかりません。


    小学三年生になったとき、学校で三者懇談があり、母が担任の先生に突然に言った言葉がこれ、

「先生、この娘は私の子供ではないんですよ。事情があり、やもえず引き取って育てているだけなんで。」

その言葉で初めて、自分が養女であることを知りました。


その日から開きなおったように母からは、実母(母の姉)の悪口を聞かされました。時には正座したまま一晩中。あなたは捨てられたとか、かわいそうだったから育ててあげてるとか、この恩を必ず返しなさいとか、

ウトウトするとほっぺたを叩かれて、育ててあげてるのに恩知らずとか、将来働いたお金は全部私に渡すのが常識とか、ある意味メチャクチャな洗脳教育ですよね。


でも子供のときは、

それは当たり前だと思っていたからこれも恐ろしいことです。


まぁ、その頃ぐらいからかな

私もこれは夫婦喧嘩の腹いせというか、子供っぽく、ワガママ気ままな母親のただの八つ当たりにすぎないと思うようになってたの。


本当はそうじゃなくても、そうであっても、どちらでもよくて、

ただ叱られていることに何か理由がほしかったのかも。


  私が10歳になったある日、両母親が、私の目の前で言い争う出来事が起こりました。養母が実母を家に呼び出し、私を返すので連れて帰ってくれと言うのです。今さらですが😅


しかしながら、実母は私にとってはよく知らない親戚のおばさん程度の記憶しかない💦

今、突然この人がお母さんです?って言われても・・・。

連れて帰るって言われても・・・。


私も、実母は私を捨てた情の無い

毒親だって毎日聞かされていたものだから、嫌だ💦

行きたくないって抵抗した感じだったんです。

(当然捨てられたんでもなく、毒親でもなく事実とは全く違うのですが、その時は知る由もありません。)


たちまち二人の母たちはつかみ合うほどの喧嘩になり、罵り合い、それを見ていた弱っちい私は

どうしていいかわからなくて気がついたら突発的に家の薬箱の中にあった薬を、ありったけ全部飲んでいたんです。


両母親は喧嘩に夢中で私が目の前で薬を飲み続けているのに全く気づきません。


実母は、じきに怒って帰ってしまい、その後、私の異変に気づいた母は、私の口に指を突っ込み強引に吐かせるという始末。

一週間薬の匂いと頭痛で夢の中へ・・・。


   今でもあの感覚は覚えています。

死にたいなんて、何の感情もないし、意味もなかった。ただの衝動。


今思えば、生きていて良かった。


私が死んでも、何も変わらないし、

伝わらない。

私が自分の言葉で思ったことを外へ発信しなければ、大人の事情によって全部揉み消されてしまうんだもの。何もなかったことと同じ。

自分も救えないし、誰も救えない。


生きていたら、自分も救えるし、同じようにモヤモヤ苦しんでいる人の味方になってあげられるかもしれないもの。


その時から私は毎日毎日、早く大人になりたい、そんなことばかり念じていました。

大人になれば解き放たれて

家を出て自由になれると信じていたから。


   母の私に対する態度は、変わることはなかったけれど、明らかに私は変わった瞬間でした。


その後も、妹だけを連れて家族旅行に出かけるとか、明らかな分け隔て感はあったけんだけど、体裁を気にする母は、外向きには他人の子供を自分の子供と同じように育てている聖母マリアのような善人の顔をしていたんですよね。まぁ子供ながらに親を信じられなくて反抗したり抵抗したりしていたから私は善人にはみえないな・・・。

今思うとそれもあり得ない事かも知れないけど、子供の時はほんとに殺されると感じたこともあった。

でも、生きてるから今は笑い話ね😊


   そんな屈折した少女時代の私は脅威でした。さかのぼること、

6歳位だったかな?

公園で一人で遊んでいるとき、

折れた棒パイプを振り回していた少年がいて、運悪くブランコに乗っていた私の右足ふくらはぎに刺さってしまった事件があったんです。

血だらけになって、中の肉が見えていて怖かった。


あの時、小さい子供を連れている大人たちがたくさん見ていた筈なんです。だって私はその大人を見ていたんだから。なのにブランコが止まるまでの僅かな時間に、子供たちを連れてみんなその場所から静かに去っていったんですよ。


あれはただの事故。でも大人ってズルいんだ💦子供が危ないことしているのに、叱るどころか見ないふりして、さらに怪我させても、知らない子どものしたことだからか

関わりたくないのか逃げちゃうんだもん。悔しかったな・・・。


少年はすぐに逃げて、

というよりいっそ、その場の大人が逃がしたと言うべきか。

一瞬で誰もいなくなり、私は声も出ないまま、涙を浮かべ歯をくいしばり、震えながら歩いて一人で家へ帰りました。


今考えると、わからなくもない。

小さい子供にあんな怪我、見せちゃいけないよね💧母としては自分の子供を守らなきゃ。そりゃあ、すぐにその場を離れるのが正解なのかも知れない。立場によって正義は変わる。道徳とか倫理とか言ってるよりも、みんな家族や身近な人を大切にすればいい。それが正解でいいじゃない・・・・。

やりきれない孤独感。


痛みより見られたくない気持ちでいっぱいだったな。「他人に迷惑をかけるな!」といつも言われていて、お世話になったり物をもらったりすると、後でまた母に叱られるから。

ハンカチで傷口を必死で隠しながら、家に着いたときはもう方針状態。私は怪我をした側なのに何故か怒られるんじゃないかと萎縮しながら母の職場へ電話をしたのです。

「公園で怪我したの」と言うと母はそんなことで・・・、と言わんばかりに「どんな怪我❓大きい怪我❓小さい怪我❓我慢できるくらい❓」


私はもじもじして答えられなくていると「もう切るよ」と言われてしまい、慌てて「お母さん違うの。大きい怪我。血がいっぱい出て肉が見えてる」と小声で言うのがやっと。

ただ事じゃない怪我だと理解した母が帰ってきました。

病院で三針縫われた時、初めて声が出て痛くて泣きました。

  (今でもその跡は右足にくっきり残っています。)


でもあの日、母はいつになく優しくて、自分にとって間違いなく味方なんだと感じた出来事だったんです。


子供を病院へ連れていくのは当たり前のことなんだけど、何故か特別なことをしてもらった気がして、

私はもっといい子でいなきゃ、親に心配をかけないようにしなきゃ💦

なんて、かなりイカれた事を考えていました。それまでずっと親に甘えることはいけないことだと思っていたんですもの。


色々辛かった子供時代だったけど、人間って都合よく

良いことを上書きしていくんですよね。どんなに嫌なことが続いても、そのあとに良いことが少し起これば、そっちが強く心に残っていく。

そして過去に良いことがあれば、やがてまた良いときが来ると期待して強く信じる。


女性が何度も出産するのは、痛みを忘れるんじゃなくて、出産した後の喜びの方がより強く心に刻まれるからなんでしょうね。


あんなに憎いと思っていた母のことも、僅かでも幸せを感じた一瞬は大切な宝物。その一瞬の笑顔を切り取って集めては上書き保存している自分がいて。


そんな母、癌で私が22歳の時に亡くなったのですが・・・。


   入院中、病室に毎日洗濯物を取りに行って話をしていた私には、相変わらず最後まできつい物言いでした。忘れられないエピソードに「リンゴジュースが飲みたいから買ってきて」と言うので売店で買ってくると、「こんな不味いもの飲めるか❗」と投げつけられて「じゃあどんなのが飲みたいのよ❗」と言い返すと「リンゴを擦って、絞る」

なるほどね、母は妹を出産した後、離乳食にリンゴをよく擦ってたのを私も思い出して、あれかぁ✨ともう一度りんご🍎を買いに、ガーゼのハンカチで絞って飲ませてあげた。

嬉しそうな顔して笑ってたな。

私が作った料理、不味い不味いって言いながら食べたりして、でもあの怖い母が弱っていく姿見てると、子供の頃「死んでくれたらいいのに・・・」と思った事を懺悔する気持ちでした。

ホントに母には最後まで振り回されたけど、最後は愛に満ちあふれていくんですよね。

私もあの母だったからこんなに強くなったのかも知れないし。

もしあの時、私は母を憎んで死んでいたら、自分が母親になることも出来なかっただろうし、母を一人の女性として理解しようとすることもなかったんだから、最悪のシナリオしか描けなかったでしょうね。


今、生きているのはただの運。

生きている人はみんな運がいいんです。自分で死ぬなんてもったいないんです。


大人になって、自由になって、

昔のことなんて思い出さなくなって、家族をもって、子供たちが巣立って、また一人になって、ふと思い出すのはやっぱり二人の母のこと。


   これまでに、実の親が何故私を手放したのか知りたくて、自分のルーツを三年がかりで追って、探し当てた奇跡もありました。


その時、すでに実の両親は他界しておりましたが、姉に会うことができたので、真相が全てわかりました。

知らないことが多過ぎて、間違いだらけ。真実を知らないままに苦しんで、いったい私は何をしていたんだろうと思うことばかり。

善悪なんて表裏一体。

どっちだって答えは同じ。

立場が変われば一瞬で入れ替わるものだし、人間の感情もまた、時間とともに表情を変えていくんですよね。


もし、越えられない時間があなたの前に立ちはだかっているのなら、せめて誰かと一緒にいるだけでもいい。声を出してみて。

きっと誰かが見つけてくれるはず。

みんなの命は繋がっているから。


明日のあなたは今日のあなたとは違う。その夜を、その時間を

思いきって越えるだけでいいんです。怖いなら手を伸ばしてみて、

明日のあなたが、すぐ目の前で待っているんだから。