多様性、と呼ばれる代表の一つであるLGBTQである私しか言えないことがあるといいなあ、、と思いつつ。




LGBTQが鬱陶しがられることがある理由の一つに




「自分らを認めろ認めろとうるさい」




ということが、あると思います。




「LGBTQなんだ」
「尊重しろ」

なんなら
「弱いんだ」
「お前らはいいよな」
「俺等は被害者みたいなものだ」




他人に、自分等を大切にすることを、強要する人たちがいるような気がする
腫れ物扱いを求めてくる人たち。





おそらく
そういう人がいるからこそ、


「私たちは特別扱いしてほしいわけじゃないんです」




と、逆にわざわざいう当事者の方々がいる。
#同性婚訴訟とか
#普通の権利が欲しいだけ、と




認めてくれることを強要する理由は、





自分が自分のことを認めてられてないから




だと思う。




もちろん、
自分からしか認められない、愛されない場合は、

幸せや
愛されている体感は得られないかもしれないから、




他人から認められたいと思うことが、間違ってるわけではない。


むしろ欲しがって良いはず




違うのは、




自分のことを認めるかどうかを
「強要するか」

それとも相手に



「委ねるか」




どうか。



どんな事があっても自分の味方をすると決めている人は





きっと相手に強要はしない。
強要なんてできないし、
抵抗を生むものだと知っている。




相手の自由に委ねることができるし



委ねるしかないんだと
わかっている




相手の感覚を変えることなんてできないし、
それでこっちを向いてくれた人を
自分が好きかどうか、
心に問うたほうが良いかもしれない。




言うこと何でも聞いてくれる人は私はきっと好きになれない。
我慢してほしくない
私に好かれるために、
自分を殺してほしくない





エニタイムでもらったけど文字の消し方がわからなくて
とりあえず缶バッチつけた図。


委ねる。



そうはいっても
「同性愛者は隠れて生きろ」




みたいな発言をしてる人を見ると
悪態つきたくなったり。




悲しくはなる。




LGBTQブームみたいなのが来ていますが、
それに伴って
アンチみたいなのもいて、




LGBTQを潰す、みたいな勢力もあるらしい




次のレインボーフェスタ(LGBTQの祭典的な)が心配。




なんでだろ。
羨ましいのかな。




自分の異常さを
認められない人が
アンチになるんだろうか。



みんなが自分を殺さなくて良い世界にしたいけど
まだまだ殺すのが当たり前とされる世界だ。




私に告白された人たちに聞いてみたい。



告白されて嫌な思いしなかったか。
よかったか。
少しでも、幸せな気持ちになったか。



私の気持ちが
他人を幸せにするものであってほしい。