名鉄岐阜駅前の交差点。この周辺は今も活気があって、いいですね。
岐阜って、何かいいですね。
地方都市の中でも、旧所名跡が多く、風光明媚で、商店街、繁華街、色街も充実していて(笑)
飽きさせない、不思議な魅力がある地方都市ですね。
織田信長、斉藤道三、明智光秀など著名な戦国武将ともゆかりの深い地で。
何より岐阜競輪がありますし、すご近くには、オグリキャップの笠松競馬場もあります。
少し足を伸ばせば、競艇場(常滑、蒲郡、津……)が複数あるし、競馬場(中京、名古屋……)もあります。
さらに、ちょっと足を伸ばせば、オートレース場(浜松)だってあります。
住めば都と言いますが、こんな素晴らしいところが田舎の方は、うらやましい限りです。
岐阜と言えば、オグリキャップの頃、取材で何度も来ました。
バブル時の栗東出張時には、浴衣姿でJR岐阜駅前の金●園に遠征したこともあります。
プロレスの地方巡業でも、何度も滞在しました。
ということで、非常に愛着が強い地でありますので、
本日、岐阜競輪へ行った後、夕方から3時間ほど、名鉄岐阜駅周辺、JR岐阜駅周辺をぶらり散策してみました。
まずは名鉄岐阜駅周辺ですが、相変わらず賑やかで、若い人の活気が見て取れました。
隣接する飲食街は、コロナが一時に比べて終息傾向にあるのが影響しているのか、店は客でいっぱいで、商売繁盛といったムードでした。
一方、アーケードの商店街は閑古鳥が鳴いている状態で、名鉄駅前通りの商店街でさえ、シャッターの閉まった店も複数ありました。
これは、どこの地方都市も同じ状況かと思います。
今の時代、さすがにバブル期の活気を期待するのは酷ですね。
JR岐阜駅は昭和の雰囲気を随所に残していた昔の岐阜駅とは大違いで、近代的に整備されていました。
駅2階コンコースでは、若い人が「聞き屋」という看板を置いて、人生相談のようなことをしていました(写真左)
誰かに話を聞いて欲しい─
今の時代、そう思っている人がいかに多いのかを垣間見た気がしました。
それにしても、JR岐阜駅は、きれいになりました。
そして、最後に散策したのが、JR岐阜駅の、名鉄とは反対側にある金津園。
かつては、それはそれは、きらびやかな世界でしたが、
今日は土曜だというのに、ライトが消えている店も点在して、少し寂しい気持ちになりました。
バブルの頃は、人気店ともなると、待合室は人であふれ、店の外まで人がたむろしていた、なんて景色もありました。
時代の流れを感じてしまいますね。
そんな中、「青いり●ご」という店が、今も営業しているのを見て、ちょっぴり、うれしくなりました。
かつて、悪い先輩方とポンコツ車に相乗りし、浴衣姿で繰り出したのが、この青いり●ごでした。
携帯などない時代で、競馬好きだった、りえ、という源氏名の女性が、私の勤務先に電話を掛けてくる時は、「アオイ・リエ」と名乗っていました(笑)。
私が、電話口で、りえさんと競馬談義に花を咲かせていると、
ア●ノという悪い先輩が、「俺に(電話を)代われ」と、強引に受話器を奪ったこともありました。
よくよく聞くと、ア●ノ先輩も、実は、りえさんの常連客だった、なんて笑えないオチもありましたっけ。
今はやりの、コンプライアンスとやらに縛られない、古き良き時代でした。
そんなこんなで岐阜の夜の街を散策すること約3時間。
懐かしさもあったのか、不思議と疲れは感じませんでした。
明日の早朝散歩は、岐阜市内をくまなく散策しようと考えています。
徒歩で岐阜城近くまで足を伸ばし、最後の勝負地を決めるのもいいですね。
気力と体力が残っていればの話しですが(笑)