先日、近況のドツボの厄払いに、鎌倉の鶴岡八幡宮へ行ってきました。

 

鎌倉幕府の3代将軍、源実朝が、兄・頼家(2代将軍)の遺児である公暁に暗殺されたとされる、大イチョウ跡(現在は切り株が残っています=下記写真)を横目に、

 

 

鶴岡八幡宮公式ページより

 

 

石の階段を上り、本宮を参拝。

 

そして、参拝のご利益を確認すべく、さっそく「鳩みくじ」と書かれた、おみくじを引いてみました。

 

 

 

 

が、引いた鳩みくじの中身を取り出してみると、いきなり「凶」の文字が。

 

大吉だ! 大吉だ! と喜んでいる連れに隠れて、「凶」のおみくじをバッグに忍ばせ、

 

連れの「何だった?」という問いには、「俺も大吉だよ!」と大見えを切った次第です。

 

自分で言うのも何ですが、大人げないというか、情けない所作であります。

 

 

 

 

鎌倉へ行って、鶴岡八幡宮を参拝した2日後の本日、あらためて、みくじの中身を吟味してみると、

 

『願望』の欄には「我利ではないか、考え直せば叶う」と書かれていました。

 

一攫千金、濡れ手で粟を狙うギャンブルは、まさに「我利=自分だけの利益」そのもので、

 

「我利ではないか、考え直せば」とは、ギャンブルを断ち切ることを意味するのではないか。

 

ふと、そう考えました。

 

 

 

ギャンブルを断ち切れば、願望が叶うなら、いくらでもギャンブルを断ち切りますが、

 

私の願望が、死ぬまでギャンブルをやり続けることですから、これは少々厄介です。

 

 

 

 

ただ待てよ、

 

ギャンブル=我利であることは間違いないですが、

 

ギャンブルでも、競馬、競艇(ボートレース)、競輪、オートレースの「公営競技」なら、購入額の約10%が社会還元されるのですから、これは我利ではないな。

 

そう勝手に解釈させていただきました。

 

つまり、

 

「我利かもしれない」麻雀やカジノなどは控え気味に、

 

「我利ではない」公営競技は胸を張って馬券、舟券、車券を買い続ける。

 

そんな結論に至った次第です。

 

 

 

というわけで、本日、競艇の優勝戦3番勝負に挑みましたが、前回のブログで書いた通り、痛恨の3連敗。

 

舟券の一部が社会還元されるとはいえ、自分自身への還元が皆無だったことに少しショックを覚えました。

 

 

 

鶴岡八幡宮の鳩みくじの「凶」の威力は侮れません。

 

明日以降も、「我利ではない」と信じる公営競技は、参加し続けますが、

 

「凶」が長引き、軍資金が尽きないか心配です。

 

 

願わくば、「凶」から「中吉」→「吉」→「大吉」へと運気が急上昇し、残り8カ月の軍資金を心配しないですむくらい、しこたま稼ぎたいと思っています。

 

 

 

これって「我利」でしょうか?

 

いや、『買えば買うほど社会還元される額も増えるのが公営競技』ですから、「我利ではない」と思います。

 

 

 

 

ちなみに、おみくじの運勢欄には「社会と自己との関係を見つめて居ると、自然に人に仰がれる地位に立つ」とも書かれていました。

 

私事で恐縮ですが、社会と自己との関係は、「公営競技を通じた社会貢献」と考えています。

 

このポリシーを貫いていけば、人に仰がれる地位に立つことができるのでしょうか。

 

いや、きっと、人に蔑(さげす)まれる地位しか待っていないでしょうね。

 

でも、人に蔑まれてこそ、一人前のギャンブラーですから。

 

 

 

日々、馬券、舟券、車券勝負で、冷や汗😅を流し続けている全国の公営競技ファンの皆様、

 

明日も懲りずに頑張っていきましょう!