はじめてのア●ム(50万)を拠点に、武●士(50万)、レ●ク(50万)、プロ●ス(30万)と、「借金勢力図」を伸ばしていった20代前半。

 

天下統一を目指した織田信長のように、拡張政策はとどまることはなかった。

 

結局、日●信販(30万)、コー●ークレジット(20万)にも攻め込み、わずか1年で、借金総額は「6社230万円」まで膨らんだ。

 

 

こうなると、毎月の返済額だけでも10万を軽く超える。

 

毎月の返済日に元利合わせた規定額を返済すると、すぐにその場で、限度額いっぱいまで引き出す生活が続いた。

 

利息だけ収め、元本は一向に減らないのだから、車輪をこぐ足を止める訳にはいかない。

 

立派な自転車操業野郎の仲間入りだ。

 

 

 その後に続く「底なし沼」に比べれば、まだまだ健全な? 自転車操業と言えなくもないが、22~23歳の若造にとっては、厳しい負担重量だった。

 

競艇で言えば1艇身、競馬で言えば3馬身ほどの出遅れとでも言おうか、手痛い社会人生活のスタートとなった。

 

 

 

当時、競馬の現場で仕事をしていた。

 

今は新人でもすぐに予想欄に印が打てる時代だが、当時は新人の身でダンゴを打つなど「10年早い!」と一括される世界だった。

 

必死に関係者の顔を覚え、出走馬のコメントを集める日が続いたが、おかげで、競馬の現場の空気を日々、肌で感じることができた。

 

 

 

ある時、競馬関係者で、池袋のキャバクラ(キャバレー?)仲間でもあった兄貴分が、私の窮状をみかねてか、耳元でささやいてきた。

 

「●●は勝負だから、買ってみな!」。

 

その後、公営競技の現場経験を重ねていくにつれ、そんな関係者の耳打ちの多くが、残念な結果に終わることを知るのだが、兄貴分の最初のささやきは、ドンピシャ、はまった。

 

 

 (ゴルゴ松本 「命」) でも書いたが、冬の中山最終レースで、最低人気の馬が、あれよあれよと直線で突き抜け、馬連で400倍を超す万馬券となった(当時は単、複、馬連だけの時代)。

 

払い戻し総額は230万円強だった。後にも先にも、ひとレースで100万円を超える払い戻しを受けたのは、これ一回のみ。だからか、この時の映像だけは、鮮明に脳裏に残っている。

 

 

ボロアパートには帰らず、2日ほど競艇(ボートレース)、オートレース、夜の街とハシゴした後、ポンコツ車を駆って、前入り(翌早朝の調教取材に備えて前夜に宿泊)で美浦トレセンに入った。

 

美浦トレセン近くの宿泊施設に到着すると、ゲーム好きの先輩方がセブンポーカーに興じている声が聞こえた。

 

「ここで怖い先輩方につかまっては、えらい目に遭う」

 

そんな危険信号が点滅したのだろう。

 

息を殺しながら、"セブン部屋"の前を素通りし、そっと自分の部屋に潜り込んだのを覚えている。

 

個室で一人、2つの帯封という"戦利品"をながめつつ、一人で飲むカティサーク(スコッチ・ウイスキー)の味は格別だった。

 

 

余談だが、宿泊施設には貴重品を入れておく金庫が備えられているのだが、そこに保管した2つの帯封が気になって、調教取材中、何度か部屋に戻った記憶がある。

 

正直なところ、取材どころではなかった(笑)

 

 

 

公営競技を覚えて、かれこれ40年近くになるが、この時の約230万の払い戻しが、今でも自身の最高払い戻し額のレコードだ。

 

競艇の師匠のモチさんや、ギャンブル仲間のキンコーが、何度となく、数百万単位の高額払い戻しを受けていることは知っているが、私はこの一回ぽっきり。

 

良く言えば健全なギャンブラー、悪く言えばギャンブラーとしての器量が小さい、と言えるのかもしれない。

 

 

 

ただ、人としての、またギャンブラーとしての義理は忘れてはいない。

 

その週の美浦取材が終わると、情報をくれた兄貴分をポンコツ車に乗せ、池袋の西口繁華街「ロマンス通り」へ直行した。

 

「寿司(回転しない店)」→「キャバクラのハシゴ」→「ソ●プ」→「自宅送迎」というフルコースで、兄貴分の恩義に報いたのは言うまでもない。

 

 

 

そんなこんなで、わずか数日で30万円以上も散財してしまったが、手元に残った200万円前後の金を懐に向かったのは、池袋駅周辺に点在するサラ金ビルだった。

 

"金のあるオーラ"を発散させながら、一社ずつ、店頭窓口に出向き、借金を完済していった。

 

二度と借りない! そんな意思表明のため、「カードだけでも手元に残しませんか」という、サラ金社員の言葉を無言でさえぎった。

 

サラ金ごとに違う色とりどりのカードを目の前でカットしてもらい、完済証明書を受け取った。

 

 

ただ、ひとつ誤算だったのは、少し散財した影響で、借りていた6社すべての借金を完済できなかったこと。

 

熟考の結果、ぽっちゃり型で素敵な笑顔の女性店員の好感度が残るア●ムだけ、半額ほど債務を残した。

 

きっちり完済し、サラ金から借りる生活と縁を切っていれば、明るい未来が待っていたかもしれない。

 

中途半端に1社だけカードを残したことが、さらなる自転車操業の始まりとなる。

 

晴れ晴れとした気持ちで、池袋のサラ金ビルを出たのもつかの間、暗雲が漂っていた。

 

(続く)