私には、ギャンブルの師として慕っている人が2人います。その1人は元競艇選手で、数年前まで日刊スポーツで競艇の評論家をしていた望月重信さん(通称モチさん)です。

 

私が師匠のことを文字にすること自体、非常におこがましいのですが、真のプロアスリートとして、プロのギャンブラーとして、誰よりもリスペクトしている一人です。

 

競技こそ違いますが、これまで取材してきた他のプロスポーツ選手を含めても、屈指のプロ意識を持った方だと思っています。

 

それだけに、数年前、日刊スポーツの評論家を勇退された時は、ショックでした。歯に衣着せず、競艇の本質、選手道を語るコラムは、多くの競艇ファンの心に刺さり、かけがえのない存在でした。今もって残念です。

 

 

 

モチさんの真のすごさは、何より「ファンあってのプロ選手」という意識が徹底していたことです。

 

選手時代は、ただファンの期待に応えるべく、素潜りや徹底した走り込みで心身を鍛錬。武道での精神修行などもルーティーンで、「プロにプライベートは必要ない」という、それは超ストイックな考えの持ち主でした。

 

理系の大卒レーサーらしく、モーターの研究も徹底していて、レースで使用されるモーターを自費購入しては、納得のいくまで自宅でいじっていたのは、知る人ぞ知る話です。

 

その類いまれな整備力と、「カミソリ」と言われた絶品のスタート力で大活躍。1983年(昭和58年)には戸田のモーターボート記念(現ボートレースメモリアル)でビッグレース(現在のSGレース)を制するなど、オールドファンなら誰でも知る、超個性派の競艇選手でした。

 

連勝記録や記念タイトルなど、残した記録も素晴らしいのですが、何より、彦坂郁雄さんや野中和夫さんといった往年の猛者を相手に、一歩も引かない武闘派のレースぶりが、オールドファンの記憶に今も色濃く残っているのではないでしょうか。

 

まさにファンの存在だけを意識した、真の公営競技のプロ選手。「どの世界もトップは孤独なもの」が口癖で、ピットには敵が多くても、スタンドでは、その迫真のレースに共感するファンが少なくない。まさに「ファンあっての競艇選手」を体現したプロフェッショナルでした。

 

 

 

そんなモチさんが競艇選手を引退し、評論家に転身しても、仕事へのプロ意識は一切変わらず、妥協のない評論、予想で多くの読者に支持されました。

 

それまでの予想者にはなかった、「エンジンパワー」という確固たる競艇理論で競艇を解説。レース分析も、予想も、まさに異次元でした。

 

舟券も、確信を持てるレース以外は一切買わないという鉄の意思で、ギャンブラーとしてもプロフェッショナルでした。

 

もちろん、納得のいく、数少ない勝負レースの的中率、回収率は群を抜き、私が知る中でも数少ない、公営ギャンブルの勝ち組の一人です。

 

 

 

そんなモチさんに徹底的に叩き込まれたのは、競艇は「エンジンパワーが全て」と言っていい競技であるということ。

 

どんなに実力のある選手でも、エンジンパワーがなければレースで勝てない。どんなにスタートが速い選手でも、パワーのある艇にあっさり伸び返されてしまう。エンジンパワーがなければ、1マークで展開が作れず、自力で攻めることもできない。

 

逆にどんなにテク(技術)の甘い選手でも、エンジンパワーさえあれば、1マークは自然といい形になり、黙っていても勝つチャンスが訪れる。これが、「モーター競技」である競艇の本質ということを、口酸っぱく教え込まれました。

 

 

その帰結として、舟券も、直前の展示航走(スタート展示&周回展示)を確認して、6艇のエンジンパワーを正確に見極めない限り、とても勝負などできない。

 

モーターの何たるか、整備の何たるか、スタートの何たるか、テクニックの何たるか、プロ意識の何たるかを知り尽くしたモチさんでさえ、確信の持てるレースは、1日でもわずかしかないのです。

 

むしろ一日、競艇場に一緒にいて、全く舟券を買わない日の方が多かったような気がします。

 

弟子になりたての若い頃、競艇の本質も理解せず、選手の名前や勝率、スタート力、甘いモーター評価で舟券を買いあさる私に、モチさんから「金をドブに捨てるようなものだな」、「我慢ができないヤツに運など巡ってこないぞ」と、よく笑いながら諭されたものです。

 

日々の努力を怠り、自制することもできない20代だった私は、当然のように舟券で負けが込み、自転車操業に陥っていました。当時の借金額は、確か200万円を超えていたと思います。

 

そんなドツボだった私を見かねてか、他人には絶対に買い目を教えないモチさんが、「おいジュン、これを買っておけ!」と、一度だけ、私に救いの手を差し伸ばしてきたことがありました。

 

"浪速のドン"と呼ばれた長嶺豊さんが、涙のビッグ初制覇を飾った1993年10月の戸田ダービーの優勝戦でした。

 

また明日、続きを書こうと思います。

 

 

ヤマジュン