先月の中旬から三週間、ちょうど一年ぶりに日本に一時帰国をしてきました。


幸いなことに去年と違い、現在日本では入国後の隔離が行われていません。中国出国前にPCR検査の陰性証明書さえもらっていれば、日本に入国する手間はだいぶ簡単になりました。

 

杭州萧山空港。空港にこんなに人がいるのは久しぶり。日本と中国の間を飛ぶ飛行機も最近増便されたそうです。

 

飛行機の中で隣だったのは20歳くらいの男子。これから日本で留学生活を過ごすそう。日本語も英語も分からず、飛行機に乗ったのも人生初との事。天台の隣町、仙居出身と聞いて親近感を覚えます。いろいろ大変な思いもすると思うけど頑張ってほしいです!

 

去年は空港を出た後の公共交通機関も原則使用が禁止されていたため、中国にいるうちから専用のハイヤーを予約して帰宅しましたが、今回はそのような制限もありませんでした。

 

とは言え、荷物が多かったので成田空港までは知り合いが車で迎えに来てくれて、自宅まで送ってもらったので大助かりです。

 

22時前に成田を出発したあと、とりあえず銀座で高速を降りてもらって1年ぶりに日本のラーメンを食べました。

 

去年の一時帰国は期間が短かったので、家族以外には誰にも会えないまま中国にとんぼ返りでしたが、今年は少し時間が取れたので久しぶりに友人知人にも会うことが出来ました。

 

営業終わりの深夜、先輩のお店に仲間が集まってくれました。みんなが一品ずつ作った料理を囲んでの座談会。

 

日本滞在中、時間をフルに使って色々なレストランを回りましたが、一番印象に残ったのは広尾に移転して間もない「飄香(ピャオシャン)」での食事でした。

 

飄香は東京の有名な四川料理店です。十数年前に代々木上原に1号店がオープンした時、「俺もこんな店がやりたいんだ!」と、頭にぼんやり思い描いていた将来の自分のお店の姿を、リアリティをもって想像出来たのを覚えています。

 

結局あれから十数年たった今も私はオーナーシェフにはなれていませんが、あの時一緒に飄香に行った友人は独立を果たし、今ではミシュランシェフになってしまいました。

 

飄香のシェフは上海や四川での修行経験もある方で、現在は都内で4店舗の四川料理店を経営されている憧れのスパーシェフです!

 

 

シェフが常駐していた代々木上原の本店は麻布十番に移転したのち、つい最近広尾に引っ越してきたようです。

 

隠れ家的な雰囲気で、落ち着いた大人の空間の店内ではシェフがほぼワンオペで料理を作っています。サービスの女性はもう何年も前から飄香の顔のような存在の方で、安定のホスピタリティでした。

 

私は四川料理が専門ではありませんが、表面だけではない、オーセンティックな四川料理の技術、そして文化に、シェフのオリジナリティが高次元で融合している素晴らしい料理だと思いました。


美味しさへの満足感だけではなく、シェフの四川料理や中国の食文化へ対する造詣の深さに敬意を感じずにはいられない食事になりました。日本人でもこんなに高度なレベルで中国の食を表現できるんだと、今の職場の若いスタッフにも食べさせたかったです。

 

琵琶:生の牡丹海老に「泡菜」という四川のピクルスのエキスを乳化させたシートを被せ、琵琶の形に見立てた前菜。美しいだけでなくしっかり美味しいです。

 

柳緑(たしか…):四川らしい香り高く紅いオイルに包まれた馬刺し。緑のオクラパウダーは最近中国でも人気の食材でよく使われています。弾力のある馬刺しの食感に負けない力強いソースとオイルの香り。

 

楽山:見た目は香ばしく丸焼きにされた鴨ですがムネ身もモモ肉も絶妙な火の入り具合。少し甘口な仕上がりでした。私は食べたことはありませんが、楽山(四川省)に「(tián)()()」という料理があるはずです。その料理がモチーフになっているのかな?

 

他にもいろいろな方にいろいろなレストランや料亭に連れて行っていただきましたが、総じてやっぱり東京の外食はレベルが高いと思いました。

 

ですが、残念なことに日本の飲食業界(たぶん他業種も)は超絶深刻な人材不足(なり手不足)に直面しています。コロナの影響もあるのでしょうが、東京のど真ん中にある外資系ホテルのレストランが従業員不足のために毎週定休日を設けたりしなければならない状態になっていました。

 

このまま少子化が進む(というかさらに加速する)以上、大規模な移民の受け入れなどに舵を切らない限り、この状況が改善する見込みはありません。人材不足という点だけについて言えば、年々状況が悪化していくのは明白です。

 

日本のこの素晴らしい外食産業は、私たちの世代が引退するあと20年後くらいにはどのような姿になってしまうのか。飲食業界の未来に担い手はいるのか?私と同世代の料理人は、そんなことを考えている人も少なくないはずです。

 

今ここでこのことについて意見を書きたいわけではありませんが、今回の一時帰国で日本の飲食業界の現状を見た時、やはり今の中国が持つ活気や勢いみたいなものと比べてしまった部分もあります。

 

日本は日本なりの生き残りをかけた戦いに勝つためにどうしたらよいものか。政治の事も含め、一人一人の料理人も真面目に考え、飲食業界を取り巻く様々な問題の解決に一緒に参加していかなければならないと思います…。


 

娘の誕生日を過ごしたり、日本での楽しい時間はあっという間にすぎてしまい、11月あたまのフライトで中国に戻りました。中国に入国する前にはフライトの前日と前々日にそれぞれ別々の医療機関でPCR検査をすることが必要です。

 

中国(天台)では2日に一度のPCRが毎回無料で行われていますが、日本では1回の検査費用が2~3万円もします。私の場合は会社請求だから良いとはいえ、なんでこんなに高いんでしょう。

 

鼻に麺棒をさして検査をするだけなのに、いくら何でも高すぎな気が…。

 

杭州の空港から大型バスで3時間。今回の隔離先は杭州市と金華市の境に近い「建徳」という場所でした。今回で3回目の隔離生活なのでさすがにもう慣れました。


今回は7日間の集中隔離に3日間の自宅隔離ということでしたが、手続きや移動手段の制限がいろいろ面倒なので、隔離施設にお願いして10日間ぶっ通しの隔離にしてもらいました。

 

久しぶり、おかえりなさい。  ただいま…。(空港の検疫エリア)

 

大型バスは見えた限り、3台が満員でした。日本人の渡航はビジネス限定とはいえ、日中間の往来はだいぶ活発になってきた様子です。

 

隔離ホテルに着くとまずは荷物が出され、消毒液でびしょびしょにされます。

 

隔離ホテルの食事は美味しいしバリエーションも豊富で飽きずに食べられました。

 

現在の中国ではスマホ内の「(jiàn)(kāng)()」(健康コード)が「绿()() 」(緑)になっていないと公共交通の利用はおろか、スーパーやパン屋さん、食堂にも入れないという話は以前の記事でも書きました。

 

隔離が始まったばかりの時は「(hóng)()」(集中隔離対象)という赤色のコードになってしまっています。

 

この「健康码」はいま中国に住む者にとって、正直かなり鬱陶しい存在です。


隔離解除日の午後1時過ぎ、隔離満10日の時刻が過ぎてもなかなか7日以内の在宅隔離を意味する「(huáng)()(」から「绿码」にならないので、すこし不安になりましたが30分遅れで無事に緑色に。事前に呼んであったタクシーに荷物を詰め込んで天台に向かいます。

 

7日間以内の健康観察対象者は「(huáng)()」(黄色コード)に。今回の私の場合、7日間の集中隔離が終わった時点で「红码」から「黄码」に変わりました。

 

 

満10日間の隔離が終了し、無事「绿码」(緑コード)に。この状態でなければ移動が制限されてしまいます。

 

建徳から天台の山下までもタクシーで3時間の道程です。同世代っぽい運転手の政治に対する不満を聞きながら(ほとんど何を言ってるかは理解できませんが)、ウトウトしているうちに天台に到着です。

 

約1ヶ月ぶりに天台に戻り、山下の美味しい麵屋で「(zhū)(jiǎo)(miàn)」(豚足ラーメン)を食べてから宿舎に戻りました。


山の上はすでに、分厚いコートがなければ出歩けないほどに寒くなっていました。次回は隔離中に書き溜めた紹興酒の話です。

 

山下にある賢君麵館の「猪脚面」に煮卵トッピング。

 

 

おまけ:天台 晩秋の畑

一時帰国の出発前は茄子や唐辛子などが作られていた畑は一面葉野菜や根菜など、晩秋から冬に旬を迎える野菜に模様替えされていました。

 

 

葉っぱが深緑で地元では「(hēi)()(qīng)」と呼ばれる大きな青梗菜のような野菜。すこしクタクタになるくらいに煮たり炒めたりすると芯の部分が甘くなるとても美味しい野菜です。

 

(gāo)(shān)(luó)(bo)」(高山大根)と呼ばれる小ぶりの大根。筋っぽい部分が全くなく、軽く煮込んだだけでとろけるような食感になります。

 

(jiè)(cài) 」(高菜の仲間)。茎の部分のコリコリした食感が美味しい冬野菜です。

 

天台の山の上では鶏(三黄鶏)もアヒルもガチョウもみんな自由に歩き回れる環境で育てられています。管理人のおじさんに頼めば鶏のメスは1斤(500g)あたり30元(約600円)、1羽で大体1,800円くらいで分けてもらえます。正味にしたらグラム当たりの金額は日本のスーパーで売っている鶏肉よりも全然高いです。

 

おわり