先月で駐在生活1年が経ちました。
これまで何度も中国を訪れてきましたが、実際に住んでみて分かったことなども沢山あり、大変貴重な1年となりました。
ひとつ悔やまれるのは中国国内でもなかなか収まりが見えないコロナの影響によって、各地への旅行が思うように出来なかったことです。
今回は天台山での滞在1年を振り返り、現地で見たこと感じたことなどを書き留めてみます。
職場のホテルとレストラン
■天台山のこと
私の赴任先のホテルは浙江省台州市天台県というところに位置しています。
天台山とは天台県の北部に位置する連山の総称で、最高峰の標高は「華頂」の1098mです。
ホテルがある「石梁鎮」という地区は華頂から少し下った標高約800mの場所にあります。
天台山は古くは仙人への道を求める道教の秘境でしたが、575年に智顗という僧侶が天台山に中国初の仏教宗派「天台宗」を創始し、現在では道教と仏教、どちらの聖地としても名が知られています。
宿舎から車で20分ほどの場所にある「石梁飛瀑」。滝の上に梁のように掛かっている石が「石梁鎮」の名前の由来。
天台山ののどかな田園風景。奥に見えるのは隋代に建てられたという国清寺の「隋塔」。
天台山の茶畑にいる鶏。鶏以外にも家鴨、ガチョウなどが放し飼いにされています。天台の山の上に暮らす人々の多くは農家を営んで暮らしていて、山には放し飼いをされている鶏の鳴き声が響きます。
中国には外国語ほどに違う多くの方言がありますが、天台が属す台州にも台州語というものがあります。(細かくいうと台州語もまたいくつかに分類することが出来ます)
こちらに来たばかりの頃、地元の人達が私たちについて何かを話しているとき、何度も「ニッポンニン、ニッポンニン」という音が聞こえたので訊ねてみると、台州語では「日本」は「ニッポン」、「日本人」は「ニッポンニン」に近い発音であることを知り大変驚きました。
標準中国語で日本人は「日本人(リーベンレン)」と発音しますが、このあたり一帯は昔の「呉」の国の地域にあたり、日本の漢字の音読み(呉音)に通じるものが現地の方言にはたくさん残されているのです。
また、天台県から最も近い沿岸部までは約60kmの距離ですが、広い中国の中では限りなく海に近い沿岸地域とも言えると思います。
歴史の授業で習ったことのある遣隋使、遣唐使、遣明船など、遥か昔から近代まで、日本と中国を往来していた船の多くは現在の浙江省沿岸の港を目指していました。
この地を経由して、仏教をはじめ多くの大陸文化が日本に渡っていたといいます。日本の「茶」のルーツも天台にあり、天台を代表する仏教寺院「国清寺」には日本における天台宗の始祖、最澄の記念碑も建っていて、日本とはとても縁深い場所であることを実感できます。
国清寺
日本天台宗の総本山である比叡山延暦寺を開山したことで知られる最澄大師は、西暦804年、ここ天台の国清寺で修業をしたそうです。
職場のある石梁鎮から車で40分ほど下ると、天台県の中心にある麓の小さな町に着きます。
町には市場やスーパー、本屋さん、雑貨店などの各種商店があり、基本的なものは何でも入手可能です。
町の中に3か所あるショッピングモールの中には映画館やフィットネスジムのほか、マクドナルド、ケンタッキー、スターバックスなど、お馴染みの顔ぶれも出店していていつも賑わっています。
天台のショッピングモール
天台にあるスタバ。グランデサイズのカフェラテは33元(日本円で約560円)って日本より高くない?
次々に新しく建つ高層マンションの裏には、「老街」と呼ばれる下町の雰囲気が漂う路地もあります。
山の上の商店や食堂は夜の8時には全て閉まってしまうので、仕事終わりに同僚たちと飲みに行くには事前に馴染みのタクシーを呼んで山を下りなければなりません。
町では飲み屋さんや火鍋店など多くの飲食店や夜市が深夜までお客さんを集めています。
天台の「新城」と呼ばれる地区の屋台街。屋台の他にも深夜まで営業している食堂がいくつもある賑やかなエリアです。
■中国の大きさと格差
この1年で一番身に染みたことは以前の記事『中国は大きい!』にも書きましたが、やはりこの国の大きさです。
中国の国土は日本の約25倍もあり、四川省や黒龍江省の一省だけで日本よりも大きな面積を持つ巨大国家です。
私が暮らす浙江省台州市も青森県と同等の大きさがあるので、前にも書いた通り、一省が一国、一市が一県というスケールです。
広東省の河原市というところが地元のスタッフは、帰省するのに丸2日かかるため1週間の休みを取っても往復で4日間が移動の時間になってしまいます。
私はこれまで、主に上海や北京、杭州といった特定の都市部ばかりを訪れていたため、中国のごく一部しか見ることが出来ていませんでした。
しかし実際に天台に住み、生活をしてみると改めて様々な面からこの国の大きさを感じることができました。
上述した通り、中国には無数の方言があり、それぞれが外国語ほどに違います。大部分の中国人は自身の地元の方言と「普通话」と呼ばれる共通語(標準語)を話すことが出来ます。
しかし、地方の教育格差や年代によっては、現在でも「普通語」が満足に話せない人達が沢山いることを知りました。天台でも山の中で農業をして暮らす50代以上の人には、漢字の読み書きがあまり得意では無い方もいます。高齢者の中には一度も山を下りないまま一生を終えてしまう人もいるそうです。
天台に限らず、このような小さな集落が無数に集まったものが中国という国の半分を形作っていることにも気付かされました。
2000年代になって農村部よりも都市部で生活をする人の数が上回ったそうですが、いまだに大陸の大部分は農村地帯であり、それぞれの地域では言語のみならず独自の習慣や伝統的な風習が色濃く残されています。
「石梁鎮」の農道に掲げられている「標準語を話しましょう」、「正しい字を使いましょう」の標語。
飲食習慣に於いても北方、南方出身者の間では大きな違いがあります。
昔読んだ中国料理の料理書から南北の違いを表す言葉として「南船北马」とか「南米北面 」(水郷地帯の多い南方の移動手段は船、北方の乾燥した大地の移動手段は馬である。南方は水田に恵まれることから米を主食とするが、北方の主食は小麦や粟、玉蜀黍といった穀物の粉(麺)食が多い)という言葉を覚えましたが、毎日の従業員食堂を見ていても南北の出身者の嗜好の違いは明らかに見て取れます。
北方出身のスタッフの主食は「馒头」(具の無い蒸し中華まん)や麺が主で、「白飯」を食べることはあまりありません。陝西省出身の若いスタッフは地元では一年365日中、300日は麺を食べていたと言っていました。
職場での飲み会でも、紹興酒のような米の醸造酒(黄酒。アルコール度数15%前後)は北方出身者に言わせると「不算酒」(お酒には数えられない)だそうで、彼らにとっての酒は穀物で作った蒸留酒の「白酒」(アルコール度数50%前後)一択です。(これはたぶん酒好きの人が多い料理人という属性も関係ある気がしますが…)
宿舎の部屋で仲間内で飲むときも、メンバーの出身地によっていろいろなお酒が揃います。
左から河北省の白酒「従台酒」、紹興酒の「古越龍山」、天台地元の醸造酒「紅曲米酒」。
天台のある浙江省は全中国の中でも経済的に恵まれており、富裕層が多く住む地域としても有名です。省都である杭州は東京を凌ぐ近代都市になりつつあります。
しかし、同じ浙江省の天台の山の中に暮らす農家の人々は、今でも竈に薪をくべて三食の食事を準備しています。
私がお邪魔した同僚の「奶奶」(おばあちゃん)のお宅には電気は通っていましたが、テレビも洗濯機もありません。昔ながらの生活様式の中に、スマホを扱うおばあちゃんの姿がなんとも不思議な光景でした。
以前の記事に載せたように、私が胃腸の調子を崩したとき、地元の農家出身の若いスタッフが「良い薬があるから後で寮に持っていきます」と言って届けてくれたのは、乾いた植物の茎でした。これを湯で煎じて飲んでくれと言うのです。
てっきり錠剤や粉薬を持ってきてくれるものと思っていた私にとって、これはかなりインパクトのある出来事でした。
同僚のおばあちゃん宅。
台所は昔ながらの対面式の「竈」。
各家の玄関横にはこのようにストックの薪が置かれています。
地元出身のスタッフがくれた「青木香」という名の胃腸に効くという漢方薬。
一方で山の下には次々と新しいマンションが建設されており、そこでは最新の家電を揃えた若い家族が、スマホを使ってスーパーの食料品やレストランの食事、タピオカミルクティーなどまでもデリバリーしてもらう超現代的な生活が送られています。
また、地元の台州ナンバーを付けたメルセデス、BMW、アウディ、ポルシェといった高級外車を天台の街の中でも沢山見かけることが出来ます。しかも冗談抜きに東京でも港区あたりでなければ見られない量が走っています。中国の経済成長や購買力の高さを実感せずにはいられません。
一方で「三丁目の夕日」でしか見たことのないような、昭和を感じる三輪自動車も庶民の間では相変わらず重宝され、天台のいたるところで見かけます。
街のレストランでは料理人の見習いが月収2500~3000元(約4~5万円)で働いている一方、友人や恋人たちを連れた「富二代」と呼ばれるまだ20代前半の富裕層の子息たちが、運転手付きのベントレーやマイバッハに乗って、私が働くホテルを訪れることも少なくありません。
天台の街のあちこちで、こんなに建てて住む人いるの?というくらい高層マンションの建設が進んでいます。
三輪自動車。ガソリン式と電気式があるようです。
海外の有名大学に進学する中国出身者が増えている一方で、休日によく行く食堂の若いスタッフ(四川省の田舎町出身)は義務教育であるはずの中学校も卒業しておらず、「日本」や「アメリカ」は知っていても「東京」や「ニューヨーク」という地名は知らないと話していました。
比較的貧しいとされる中国西部の出身者にとっては、山間部とはいえ、浙江省に位置する天台の町も出稼ぎ候補地の一つということでした。
このような収入格差や出身地による教育の格差は、この数年でだいぶ縮まったとネットの記事などでは目にすることもあります。ですが、現地にいる肌感覚では、今のところまだ日本の比ではない印象です。
以上はほんの一例ですが、上海や北京に次ぐ経済発展著しい浙江省でもこの感じだと、もっと内陸ではどれほどのカルチャーショックと出会えるのか、現時点では想像もつきません。
あらゆる面に於いて、私たち日本人の常識や想像を遥かに超えてくることと思います。様々な物差しを持っていないと、この国の全体像を理解することはとても難しそうだと、改めて感じています。
つづく…